その後、俺は蔵に入ると、父さんと価値がありそうな骨董品を集めて売りに行った。
 受け取った金額は五十万円。車に荷物を入れられたのと、持っていった掛け軸のなかに、有名な人が書いた絵があったらしい。とはいえ、俺は絵師の名前を聞いてもわからなかったけど。父さんも俺も望みの金額を手に入れることができて満足し、次は休日に行こうということになった。
 ただ、父さんは俺が後部座席に置いていた番傘が気になったらしい。何度も「売らないのか?」と聞いてきた。俺も不思議だった。あれほど、手放したいと思っていた番傘を、今は手元に置いておきたいと思いはじめている。
 家に着くと、俺は番傘を手に階段を駆け上がる。自室に入ると番傘の包みを取って広げて見た。柄には、やはり「雨造」と書かれた文字。
 男物とされていた番傘の特徴ともいえる太い骨。雨傘として使用していた番傘は紙と紙がくっつくらしいが、祖父は奇麗にしてから桐箱に入れたのだろう。新品と言われても疑わないほど奇麗に手入れされていた。
「家に持って帰ってきたけど、どうやって使えばいいかな。学校に持っていっても馬鹿にされそうだし……番傘なんて、時代遅れだし、ダサいし」
「ダサいって、何だ?」
 また声が聞こえた。蔵の中で聞いた子供の声だ。けれど、今の俺は先程の俺とは違う。
 恐れずに声がしたほうへ目を向ける。そこに、赤眼でざんばら髪の、あの少年がいた。
 目を合わせたまま、互いにしばらく動かず、一言も口にしない状態で時間が十秒、一分と過ぎていく。少年も俺の変化に気づいたのだろう。まばたきをしきりに繰り返しながら、俺の様子をうかがう素振りだけ見せていた。
「名前は雨造でいいのか?」
 このままでは互いの関係が進展しないと感じたので、俺から少年に話しかける。
 その瞬間、少年は返事のつもりか、首を縦に何度も振ってから満面の笑みを浮かべた。
「うん、おいら雨造。虎彦とは友達だ。お前の名前は光輝でいいのか?」
 俺も雨造に倣うように、首を縦に一回だけ振って応える。再びの沈黙があった。
 すると雨造が落ち着きなさそうに体を左右に動かしはじめる。まるで、トイレを我慢している子供だ。
「光輝は……おいらと友達になってくれるか?」
 雨造は顔を上げると唇を震わせながら俺に聞いた。今度は視線を俺に合わせない。次の言葉の肯定を期待し、否定を恐れている。そんな問いのように思えた。
 しかし、俺は雨造が何者であるのかわからない。安易に肯定してしまって取り憑かれたという事態は避けたい。いや、それ以上に今は雨造のことが知りたい。何故、祖父のことを知っているのか。桐箱の番傘と雨造のつながりとは何か。
「俺は……雨造のことを、まだ何ひとつ知らないよ」
 これに雨造は困惑の表情を浮かべた。語ったことで自分が嫌われやしないか悩んでいるようだった。そして、雨造は口を開いた。
「ここは仲間の声が全く聞こえない。由美子の家にいた時は聞こえたのに。寂しいな」
 雨造が理解しきれないことを言う。
 由美子は祖母の名前だ。仲間の声? 祖母の家では聞こえたってどういうことだ?
「おいらは付喪神(つくもがみ)。長い間、大切に使われた物に宿る者。虎彦は、おいらの友達だったんだ」
「付喪神……」
 雨造の説明を繰り返すように俺は口に出す。雨造には聞こえていないようだ。
 付喪神の話は聞いたことがあった。付喪は九十九も意味する。九十九年間、大切に使われた物に宿る魂。それが付喪神。妖怪として絵巻に描かれているのを見たことがある。
 そこで、こいつは俺に憑いてきた番傘の付喪神なのだと気づいた。番傘の色は赤だ。赤目の少年の特徴と同じ。傘の足は一本。俺の脳内で推測が結論となった。
「おいらは番傘の付喪神。けど、長いこと寝たから……虎彦はもういないのか?」
 人には寿命がある。それを雨造は理解し、痛烈に実感しているようだった。唇を噛み、両拳を握り、涙を堪えているかのように見えた。
 この返事に言葉はいらないのだろう。俺は首を縦に振って応じた。
『物と友達は大事にしろよ』
 祖父の言葉が思い起こされる。雨造は何故、桐箱の中で眠っていたのだろうか。
 けれど、今は深く考える必要はないのかもしれない。あの祖父が、そう言っていたんだ。いろいろと疑いを持つほうが馬鹿だ。俺の中での答えはそこに至った。
「虎彦は俺のじいちゃんだ。俺は孫……だから、雨造。お前が、じいちゃんの友達だったのなら、俺も友達だ。よろしくな」
 その瞬間、雨造は笑顔を浮かべた。けど、普通の笑顔とは違う。涙を流しながらの笑顔。
 こいつ、妖怪だというのに喜怒哀楽が激しい奴だなと思う。そして、何よりも人の想いを欲していると感じる。
 そうか。付喪神は九十九年間、大切に使われた物に宿る魂。そう考えると、俺の取り憑かれるという認識は間違っていたんだ。こいつの想いは――
「光輝は、この時代のおいらの、はじめての親友だ」
 たった数回の会話で親友といってくれた雨造を前に、俺は自分の浅はかな考えを恥じながら、差し出された手を強く握り返した。
 その手は、物が変化した付喪神と思えないくらい温かかった。