翌月木曜の午後、私は図書館へ向かった。

 久しぶりの有給で、平日休みだからかなんだか気分が違う。それに、春樹くんに会えると思うから余計に嬉しかった。

 図書館の入り口から向かって右側は普段レストスペースになっていてソファやテレビが置かれているが、今日はお話会があるため少し広く空間を空けていた。

 私は始まる三十分ほど前にロビーに顔を出した。そこには図書館のスタッフや、保護者に子供が既に何名かいた。その中には春樹くんの姿もあったけど、さすがに仕事中なので声をかけるわけにはいかない。

 子供のいない私がここにいるのはなんだか変な気分だったので、目立たない後ろの方の隅っこの席に腰掛けた。

 準備をしているスタッフは三人だ。一人は春樹くん、もう一人は先日会った鈴野という女性。そして少し年配の女性だ。

 準備といってもプロジェクターやテレビを使うわけではない、紙芝居は人が読むものだから、ホワイトボードを用意する程度でそれほど大掛かりなことはしていなかった。

 やがて時間が来ると、鈴野さんが喋り始めた。鈴野さんの明るい声は広いロビーによく通った。

 子供たちはグリーンのソファの上にちんと座り、足をぶらぶらさせながら彼女の挨拶を聞いている。

 一人の子供が「早く読んでー!」と叫ぶ。子供のキンとした声が響いた。

 鈴野さんは笑顔で、「はいはい、ちょっと待っててね」と自分の子供をあやすように答えた。

 今日はいくつか紙芝居を読むらしい。図書館スタッフの横にはホワイトボードに今日読む話のタイトルが書かれている。その中には私が絵を書いた『カエルの王様』も入っていた。
 読み始めるとお喋りしていた子供たちがしんと静まる。時々鈴野さんに話しかけたりしながら、お話会は和やかに進んだ。
 私が描いた紙芝居以外は、他のスタッフが描いたようだ。いずれも色鉛筆を使っていた。上手い下手ではないが、私は自分が書いたそれを見て満足した。本当は少し不安だったが、子供たちは楽しそうに聞いているし、喜んでくれたようだ。
 私はふと、彼の姿がいつの間にかないことに気が付いた。少し辺りを見回すと、彼は私達の後ろに見守るように立っていた。不意に目があって、彼が微笑む。私はなんだか恥ずかしくなって顔を元に戻した。

 お話会は一時間ほどで終わった。けれど、その一時間を大人しく座って聞いていた子供はほとんどいなかった。途中で立ったり、走り回ったり、叫んだり、お母さんに駄々をこねたり────。私の方が見ていてハラハラするようなことが何度も起きた。

 けれど図書館のスタッフは慣れているのか、全く気にしていないようだ。鈴野さんは何事もないように淡々と紙芝居を読み、春樹くんも慌てることなく黙って見ている。

 慌てているのは私と、子供達のお母さんぐらいだ。

 お話会が終わり、子供達はお母さんに手を引かれながらパラパラと帰っていった。私はようやく彼に話しかけることが出来た。

「こんにちは。今日は、お疲れ様だね」

「俺は何にもしてないよ。篠塚さんこそありがとう」

「ううん、私は何もしてないよ。それにしてもすごかったね。私、子供が泣き始めた時はどうしようかと思って慌てちゃった。春樹くん落ち着いててびっくりしたよ」

「ああ、子供はああいうものだから。落ち着いて座ってる子の方が少ないよ。みんな途中で飽きるんだ」

「そうなんだ……なんだか、寂しくならない?」

「本当に気に入った子の中にはちゃんと残ってるからいいんだ。全員が全員、好きになれる話なんてないと思うし。俺も、本だったらなんでも好きなわけじゃない」

「……すごいね。本当に司書さんって感じ」

「俺は司書に見えない?」

「ううん、そういうわけじゃ────」

「こんにちは」

 声をかけられ、私は振り返った。鈴野さんは笑顔で私達に歩み寄り、春樹くんの隣に並ぶ。また、私の心の中にもやっとしたものが広がった。

「北野くんのご友人の方ですよね。来てくださってありがとうございます」

「いえ……」

「北野くんに聞きました。あの絵、あなたが描いたって。すごくお上手です」

《《北野くんから聞いた》》。なぜだかそのフレーズにカチンと来てしまう。まるで、私(彼女)と北野くんは仲がいいんです、と言われているみたいに聞こえた。

 もちろんこれは私の勝手な妄想だ。彼女に悪気はなさそうだし、本当にその言葉の通りなのだろう。

 私が彼女に対しいい感情を抱いていないから、そんな言葉も嫌な意味に受け取れてしまうだけだ。

「鈴野さんも、すごくお上手でした」

 私はなんとか声を振り絞った。

「いいえ、うるさいのが私の取り柄なので。いつも怒られてるもんね」

 鈴野さんは春樹くんにね? と同意を求める。彼は笑みを浮かべながらそうだね、と答えた。

 固まっているのは私だけだ。なんだか二人がとても遠い存在に思えて、自分がここにいることがとても不釣り合いなような気がした。

 この間は春樹くんも私のことを好きでいてくれているかもしれない、なんて思ったけど、それはただの勘違いかもしれない。だって、彼は誰にでも優しいんだから。私だけじゃないのに勘違いをしてしまった。

「お仕事中にすみませんでした。もう帰ります」

 なんだか怖くなって急ぎ足で背を向けた。これ以上二人を見るとまた嫉妬してしまいそうだ。あの二人が横に並んでいると、全然別のことを考えてしまう。彼女はやっぱり、なぎさちゃんに似ている。それが余計に私の心を澱ませるのだ。

「篠塚さん、待って」

 強い口調で呼び止められる。図書館を出たばかりの私の体は、魔法でもかけられたみたいに急ブレーキをかけた。

「……なに?」

 できるだけ穏やかな口調で振り返った。しっかりと口角をあげたつもりだが、実際はどうなっているか分からない。

「篠塚さん、今日は休み?」

「仕事は、有給使って休んだの」

「もしこのあと時間あるなら、ちょっと付き合って欲しいんだ。俺もこのあとは休みだから」

「……わかった」

「ちょっとさっきの片付け終わらせてくるから待っててもらえるかな」  

 既に彼の体は半分ほど翻っていた。私が頷くよりも早く、彼は駆け足で図書館へ戻った。