歩いて数分で海岸に出た。

春の海はとても波が穏やかで、霞が掛かっているような地平線は、ぼんやりと見えた。

砂地を歩きながら遠くを見つめるお兄ちゃんの目は、何かを考えているようだった。

「お兄ちゃん、海、好き?」

お兄ちゃんを現実に引き戻したくて、ようやく探した話題だった。

「いや、あまり」
「でもお父さん達、ホント、良く毎年連れて来てくれたよね」
「俺が頼んだんだ」
「お兄ちゃんが?」
「海が恐くて、克服したくて」
「海、恐かったの?」

そんなの初耳。

「じゃ、今も恐いの?」

私はお兄ちゃんの腕に両手を添えると、顔をそっと覗きこんだ。
お兄ちゃんが首を振りながら優しく笑い返してくれてほっとする。

「こんな海じゃなかった」

お兄ちゃんが歩く足を止め、水平線の向こうに目を凝らした。

「深くて暗い海だった。冷たくて……。俺達の乗っていた車は対向車に押し出されるように海に落ちたんだ。たまたま通り掛かった人達が助けてくれたけど、両親と兄さんは即死だったって後で聞いた。妹と俺だけが助け出されて……蘇生したのは俺だけだった」

そんなこと初めて聞いた。
お兄ちゃんはずっとそんな記憶を持ったまま、生きて来たの?
私はお兄ちゃんの腕をきつく抱き締めた。

「生きててくれて良かった。だって、お兄ちゃんがこの世にいなかったら、私、淋しいよ」
「響……」
「お父さんもお母さんも、私もみんなお兄ちゃんのことが大好きなんだよ。だから……」

その時、突然、お兄ちゃんに抱き締められてビックリして言葉が引っ込む。
凄く早い心臓の音が耳に届く。

これがお兄ちゃんの心臓の音。
生きている、音。

私は久し振りのお兄ちゃんの広くて温かい胸に頭をすり寄せた。

ああ……
本当にまるで昔に戻ったみたいで、凄く嬉しいや。

「恐いの恐いの飛んで行けー。遠くのお山まで飛んで行けー」
「それ、母さんが良く言ってた『痛いの痛いの』だろ?」
「いいの。応用バージョン。どう?まだ恐い?」

私は顔を上げた。

お兄ちゃんの顔がすぐそこにあって思わず、もう一度顔をお兄ちゃんの胸に隠した。

お兄ちゃんは「まだ恐いよ」と言うと私を強く抱き寄せた。