それでね、俺さ、とんでもないモノの気づいちゃったんだ。
 ……ある夏の夕方。
 その日はいつもよりも少し気温の低い一日だった。プールをギリギリ解放できるくらいの気温と水温。連日の猛暑日でそれなりに賑わっていたプールも今日は人の引きが早く、かなり閑散としたプールでそれは起こったんだ。
 ……手だよ。
 ゴクリと誰かが唾を飲む音が聞こえた。
 ……俺の視線の先で、プールの中から手が突き出てきたんだ、こちらに向かって手首が曲がっていた。それはまるで俺に向かって『おいでおいで』をしているようにさえ見えた。
「やばい、人が溺れてるのか!」
 俺は監視台から降りると、簡易双眼鏡で注意深く水面を見た。
 ……しかし、何かがおかしい。
 水面から出た手は同じ姿勢のまま一向に動かない。もし誰かが溺れているのだとしたら何かもがくような仕草があっていいものだ。それに少し距離があるとはいえ、透きとおった水の中に見えるはずの……手の主が見当たらない。
「な、なんで手だけなんだ?」
 そう、明らかに手だけだ。俺の前で、突如現れた手は数分の間水面の上で静止し続けていた。本当に数分だったか? いや、俺は魅入られたように時間を忘れて立ち尽くしていた。もしかしたら数十秒くらい? いや、ものの数秒だったのかもしれない。
「あっ!」
 次に見えたのは、その手が再びゆっくりと水の中へ消えていくところだった。
 ……そして、何事もなかったかのように水面は落ち着きを取り戻した。
「なんだったんだ今のは?」
 俺は目をこすりながら手の消えたところを何度も確認したが、もう何もそこには存在しなかった。
 気になった俺は遠目から何度も確認し、念のため水中にも潜ってみた(怖くて現場から5メートルくらい離れていたが)が、やはり何も手が見えるような要素は見つからなかった。