「ごめん。心配で、つい声を上げてしまった」
 低く優しい声が、私の熱くなった胸めがけて、大きな鼓動をどくんと鳴らさせる。

「大将くん、男の子で大きいから、またげなくてバランス崩したのか」
 返事のしるしに頷く。

「大将くん、いい子だ、さすがだな。まったく動じない、偉いな。星川も声かけてあげて。おとなしいから首輪持ってて」
「はい」

「先生、俺も手伝うよ」
「ありがとうございます」

 お礼を言った海知先生が、オーナーに保定を教えて、体を丸めたごついオーナーが、大柄な大将を軽くまたいだ。

「いやあ、あてられちゃったな。見てくれに恵まれた、こんなに可愛い顔した美少女を受けとめて、先生はかっこいいヒーローだよ」

 またまた豪快な笑いに包まれる。そのあいだに大将の注射は終了した。

「先生、次はヒライヤだな」

「そうですね。またお会いできるのを楽しみにお待ちしてます。あとは、受付で手続きをお願いします」

 二人で一礼して、早歩き。海知先生の歩調に合わせるように、小走りで隣に並ぶ。

「ちょっと海知先生、ヒライヤ」
 途中で吹き出しちゃう。

「どうしてフィラリアって、直してあげないんですか?」

「直しても直らないからいいよ、通じるし。ポメラニアンのこと、ホメラニアンっていうオーナーが多いけど、いちいち直さない。ヒライヤって屋号みたいだよな」

 徐々に走るスピードが上がり、せわしなく動き回るうしろを追いかける。

 このどきどきは走っているから? それとも抱き寄せられたから? 恥ずかしかった、初めて会ったときみたいに。

 夢見るように心が躍る。高鳴る胸よ、お願い、どうか鎮まって。

 胸や腕が逞しくてびっくりした。体中が心臓みたい。早く治まって、この熱いどきどき。

「ごめんな、ずっとこんなに走らせて。チェイスに噛まれたところ痛いよな」

「海知先生がくださった、鎮痛剤が効いてますから大丈夫です、痛くないです」

 本当は海知先生といっしょにいられるから、幸せホルモンが出まくってるの。
 痛くないのは海知先生のおかげなの。

 噛まれたところも優しく撫でてくれたし。なんて、想い出したら顔も体も熱くなる。

「四月から六月は、新人として動物病院に試されてる気がします。走り回っても、海知先生のうしろをくっついて行きます」

 息を弾ませ笑顔で答える。海知先生の存在が、私に力を与えてくれている。

「頼もしいな、俺についてくれば大丈夫だよ」
 仕事が楽しくて仕方がないって見つめてくる、輝く大きな瞳に大きな声で「はい!」

 なんとか、足を引っ張らずにできたかな。
なんて思う間もなく、次々にやることが押し寄せてくる。

 手も足も足りないほどに一日中。

 とにかく想像を絶する忙しさに考える暇もなく、ただ体が反応して、こなしている感じ。

 仕事終わりの海知先生の『お疲れさん』で、また明日も元気にがんばろうって思える。

 目が回る忙しさと気疲れで初日終了、マンションに到着した。

 ああ、疲れた、夢の中でも走り回りそう。痛い右足を引きずりながらね。