レジでお金を支払うと、私は無言のまま自動ドアをすり抜けた。途端に広がるむあっとした熱い空気に思わず顔をしかめる。
高田さんってば好き勝手に言ってくれちゃって。こっちにはこっちの事情があるっていうのにさ。
そんな事を考えていると、公園付近にあるバス停で見覚えのある制服を見つけた。
スラリとした高い身長にサラサラと揺れる黒髪。楽器らしきものが入った真っ黒いケースを肩に掛けたその男子生徒は、さっきまで話題に上っていた平岡彰その人だった。
計ったかのようなタイミングに、私は思わず足を止める。一瞬、暑さのせいでキャパオーバーした脳が見せた幻覚かもしれないと思ったのだが、どうやら彼は本物らしい。……どうしよう。こういう時って声掛けた方がいいのかな? それともスルーして大丈夫? 幸いなことに、道路を挟んだ反対側にいるためこっちには気付いていないようだ。じゃあ、このまま帰っても平気だよね?
ぐるぐると考えていると、彰くんが水色のベンチに腰を下ろした。そこでようやく、私はもう一人の存在に気付く。彼の隣に座っていたのは、えらく顔の整った女子生徒だった。顎のあたりで切り揃えられたショートボブ、白くて華奢な手足が印象的な、とても綺麗な女の子だ。制服が一緒だから同じ学校の生徒だということは分かるけど、私は見たことがない。彼女の手にもまた、真っ黒い楽器のケースが握られている。彰くんのよりも小さくて軽そうだ。
二人は遠目からでもわかるほど楽しそうに話をしている。……何を話しているのだろう。何となく気になってその場から動けない。さっさと帰ってしまえばいいのに、私の足は地面に根を張ったように動かなくなった。
私の目に映るのは、彰くんの楽しそうな笑顔だけだ。だって私は知らない。……彰くんって、あんな風に笑ったりするんだ。
気がつくと、二人を乗せたバスが停留所から発車するところだった。水色のベンチにはもう人影はなく、ガランと寂しげな雰囲気だ。
熱中症にでもなっていたのだろうか。私は随分とトリップしていたらしい。
あの透明感のある綺麗な女子生徒は一体誰なのだろう。彰くんの知り合いなのだろうか。あれだけ仲良さそうに会話をしていたのだ、知り合い以上の関係に決まっている。
私の頭には、さっき見た彰くんと彼女の姿が浮かぶ。
……せっかく好きな作家の貴重なサイン本を手に入れたというのに、なんだろうこの不快感は。モヤモヤというか、胸のあたりが少し苦しい。そして、ちょっとだけ痛い。
原因不明のその痛みに気付かないフリをしながら、私はようやく家路へと歩き出した。