「い~や~っ!」

 詩穂の声を聞いて、パーティションの向こうから蓮斗の笑い声がした。

(最悪! 須藤くんの前でこんな顔をさらしてたなんて!)

 詩穂はソムニウムのオフィスを出てトイレに駆け込んだ。メイクを直してどうにか見られる顔にする。トイレから出たら、蓮斗はカードキーを使って自動ドアをロックしているところだった。

「それじゃ、行くか」

 蓮斗がカードキーをビジネスバックに入れて、左手で詩穂の右手を掴んだ。

「えっ、なに」

 詩穂は驚いて手を引っ込めようとしたが、蓮斗はギュッと詩穂の手を握る。

「念のためだ」
「念のためって……」
「まだあのふたりが近くにいるかもしれないだろ」

 そう言われて、蓮斗の意図がわかった。弘哉や美月に万が一どこかで見られるかもしれない。『スピード婚約』するくらいのカップルなら、手をつないでいないとおかしいと思われるかもしれない。

 本当になんて気が回る男なのだろう。彼の大きな手に包まれていると、なんだかすべてがいい方向に進むような安心感を覚える。だけど、同時にほんのちょっぴり落ち着かない気分にもなる。

 かつてのライバルに抱くにしては、不思議な気持ちだった。