「いい加減、離してください」

「逃げないんなら」

「逃げませんから」

ようやく緩んだのでほっとして一歩離れる。そうしたら、今度は手首をつかまれた。

「行った先から逃げんな!」

「ちょっと距離取っただけでしょう! 逃げたわけじゃありませんよ」

「とにかくお前は今日俺に付き合うんだからな。そう決めただろ?」

あなたが勝手にね。
ああ、本当にムカつく。ムカつくけれど、強引に電車に乗せられてしまえば、反抗する気力がわいてこない。

しかもこれは特急列車。最終的に温泉地にまで行けてしまう。

『ご乗車ありがとうございます。この列車は……』

お決まりのアナウンスが聞こえてきたあたりで、私は諦めた。

考えてみれば阿賀野さんは今まで私の周りにはいたことのないタイプだ。
彼の行動なんて予測できるはずがないし、考えに至っては言わずもがなだ。

諦めて、譲ってもらった窓際に腰掛け、窓の外を見る。
ふと、左手にぬくもりを感じて見てみると、膝に置いていた左手の上に彼の手が乗っている。
考える間もなく、眉間にしわが寄った。

「……セクハラですよ」

「今日は付き合うって言っただろ。彼氏にこんなことされたことないの」

「あなた、私の彼氏じゃありませんし」

「今日は彼氏なの。決めただろ」

あなたが勝手にね。
あきれてものも言えない。
とりあえず膝の上に置かれているのは落ち着かないので、私は座席の間に左手を移した。

「意外と照れ屋なんだな」

人の目から隠すためにそうしたわけじゃありませんよ。
と言ってやりたかったけど言葉に詰まってしまったのは、その時の顔が、意外にも少しかわいかったからだ。