放課後、
帰宅部の私はホームルームが終わって
すぐに教室を出た。

するとお昼くらいから雲行きは怪しかったけれど、

なんとか持ちこたえていたはずの空から
ザーザーと滝のような雨が降っていた。

「最悪……やっぱりついてない」

帰るときになって降りだすなんて、
タイミングが悪すぎる。

どうしたものかと、
昇降口で途方に暮れていたときだった。

「おい邪魔なんだよ」

背後から声が聞こえてビクリとしながら振り向けば、
ぶすっとした顔で黒い傘を私にさしだしている
大黒くんが立っていた。

表情とやってることがマッチしてないんだけど……。

下手なことを言えば、
また『生意気』だの『ノロマ』のと
けなされるに違いない。

文句のひとつも口にできないまま、
彼はなにをしたいんだろうと
頭を悩ませていたら――。

「早くしろよ」

大黒くんがつっけんどんに傘を押しつけてきた。

その顔は怒っているのか、ほんの少し赤い。

「え、これ……」

「明日、傘立てに戻しとけよ」

それだけ言って、信じられないことに
ダッシュで雨の中につっこんでいく大黒くん。

それを止めるのすら忘れて、私は唖然としていた。

私があまりにも不憫で目ざわりだったから、
気まぐれで貸してくれたのかな。

なんにせよ、自分が濡れてでも
私に傘を貸してくれたことに感謝しないと。


バッと傘を広げて雨空の下へ足を踏みだすと、

なぜだか今日という日が
それほど最悪ではなかったのかもしれないと思う。


きっと紆余曲折あったけど、
学校で誰かに優しくされたのは
これが初めてだったからかもしれない。

「パンダさん、今日は少しだけいい日だったよ」

傘にぽつぽつと跳ね返る雨の音を聞いていたら、
心の憂鬱も流れていくようだった。

ありがとう、大黒くん。

きみは迷惑かもしれないけど、うれしかったです。

そう心の中でお礼を伝えて、
私はいつもより軽い足取りで家を目指した。



学校から帰ってくると、すぐ部屋に直行する。

スクールバッグを床に投げすてて、
制服も脱がずにベッドにうつ伏せになると、
『つながるコパン』のアプリを起動した。

「ただいま、帰りました……っと」

文字を打ち込むと、
スマートフォンを両手で握って胸に引き寄せる。

それからベッドの上でコロコロと左右に転がった。

パンダさんの返事を待つ間も楽しくて仕方ない。

生きているなかでこんなふうに心が浮きたつのは、

カメラを構えているときか、
パンダさんのことを考えているときだけだ。


そんなことを考えている間に、
ピコンッと返信があったことを知らせる音が鳴る。

この軽やかな旋律は、
私に幸せを運んでくれるから好きだ。

「どれどれ」

体を起こして部屋の壁に背をあずけるように
ベッドの上に座ると、ウキウキしながら
スマートフォンの画面をのぞきこむ。

【おかえり、今日の学校はどうだったんだ?】

この口調からわかるように、
パンダさんはおそらく男の子だ。

私が毎日学校でのグチをこぼすので、
こうして先に聞いてくれる。

きっと心配してくれているのだろう。

その心遣いが胸に染みて、
辛かった一日が瞬く間に素敵な日に早変わりする。

パンダさんとの出会いは、
私が中学一年生のときだ。

クラスで『つながるコパン』というアプリが
流行りはじめ、気になった私はダウンロードして
試しにやってみることにした。

いざ遊んでみると、学校ではひとりぼっちな私にも
話しかけてくれる人がたくさんいた。

みじめな私の本当の姿を知らない人たちとつながるのは、
現実で友達を作るより気が楽だった。

ほら、あわれむような視線を向けられないから。

それに文字だけなら、
いくらでも自分の気持ちを伝えられる。

相手の顔色を気にすることなく人と関わることができて、
孤独も埋められる。

そんなアプリの魅力にはまって、
時間さえあればずっと、
アバターだけが存在するこの世界にいた。

ある日、
いつものようにアプリにログインしたとき、

アバターはまず広場のような場所に出るのだが、
そこでパンダさんに出会った。

たまたま同じタイミングでログインしたことがきっかけで、
パンダさんに声をかけてもらったのだ。

話してみると、音楽という好きなものに対する
パンダさんの情熱に私もやる気をもらえた。

私がどんな人間なのか詮索してこないから、
一緒にいて楽だった。

友人なんてずっとできないと思っていたのに、
気づいたらパンダさんとは
かれこれ四年の付き合いになっている。


「うーん、パンダさんになんて返事をしよう」

悩んだ末に彼に促されるような形で、
私は学校で大黒くんとひと悶着あったことを報告する。

【クラスに苦手な男の子がいるんだ。
わざわざ人の傷つくようなことを言わなくてもいいのに、
私が無視してもつっかかってくるの】


文字を打ちながら、あのときのことを思い出して
胸がモヤモヤとしはじめる。

それでいて、帰りには私に傘を貸してくれた。

……うーん、大黒くんがよくわからないな。

そもそも大黒くんは、
私のどこが気に食わないんだろう。

やっぱり、感じ悪くしちゃうところかな。

悪気はない。

ただ、いざ話そうとすると緊張して、
いつもの自分が出せなくなってしまう。

そんな自分が他人の目に
どう映っているのかを考えたら怖気づいて、

いつか誰かが話しかけてくれるよって
受け身になって自分を甘やかした結果がこれだ。


入学式、クラス替え。

グループができる前に
友達を作るチャンスならいくらでもあったけど、

周りの同級生はどんどん仲良くなっていくのに
私だけがいつもあぶれていた。

ひとりぼっちの時間が長くても、
孤独に慣れることなんてない。

毎日毎日、みじめで寂しくて恥ずかしかった。

それを隠すように、友達付き合いなんて
興味ないような平気なフリをしていたら、

クラスメイトには無口で無表情だと
近寄りがたい印象を与えてしまう始末。


ここまでコミュニケーションをこじらせてしまうと、
「今さらそんなつもりはなかったんだ」
なんて弁解もできない。

もう高校生活を謳歌するのは無理だろうから、
卒業までは心を無にして通うしかないんだろうなあ……。

とりとめもなくそんなことを考えていたら、
またメッセージの通知音が鳴る。

【誰かにきつくあたってしまうのは、
自分に自信がないからだと思う。

ヒヨコさんを前にすると、
自分の弱さを見透かされてしまいそうだから、
その彼は怖がってるんじゃないか?】  

「……どういう意味?」

パンダさんの言葉を理解できなくて
【彼は弱さとはかけ離れた人だよ】と打つ。

だって、彼はクラスのイケてるグループの一員だ。

教室ではいつもクラスメイトの中心にいて、

ときにはリーダシップを発揮して
体育祭や文化祭などの行事の進行を
率先して行ったりしている。

私に対する態度は冷たいけど、
ほかのクラスメイトからは頼りにされているようだった。

そんな彼が弱い人間だなんて、到底思えない。

頭をひねっていると、
すぐにパンダさんからレスがある。

【傲慢な態度をとってる人が必ずしも強いとは限らない。
弱いからこそ意地を張るし、悪い人ぶる。
自分を大きく強く見せようとするんだよ】

その心理は自分にも思い当たる節がある。

ひとりでいることをみじめだと思われたくないから、
私は傷ついてなんかいないよって涼しげな顔を装う。

自分の心を守るために、必要な強がりだ。

そんな感覚と同じなのかもしれないと思った私は、
【わかるかも、その気持ち】と返す。

いつもパンダさんの言葉はストンと胸に落ちてくる。

勝手な解釈だけれど、私のように
ありのままの自分を見せられない人は
ほかにもたくさんいる。

べつにおかしなことじゃないよ。

そう言ってくれているように思えて、
胸にわだかまっていたいらだちが
消化されていくのを感じていた。