俺は東京に移り住みロフトに出入りするようになる。地下への階段を降りた所に沢山張ってあったメンバー募集の張紙から、あるビートロック・バンドのオーディションを拾い運良くヴォーカリストとしてメンバー参加する事になる。それから数年間ボロボロのアパートとバイト先、そしてスタジオとロフトを往き来する生活が続いた。
 朝飯を買う金は無く、昼にフランスパンを一本買いそれだけを半分食べ、残りの半分を夜に缶詰め一缶とで食べた。ちょっと嬉しい事があった日には缶詰めをコンビーフにした。
 幸せだった‥‥。

 最後に参加したバンドを脱退し、と言うのは俺自身大いに協調性に欠けていたし、突拍子もない全くクレイジーな男だった。深夜のロフトではビール瓶叩き割って喉元に突きつけ喧嘩をするわ、毎晩毎晩酔っ払ってだらしのない男だった。そして音楽の方向性にもずれが生じて来ていたのも事実だ。そう云った経緯で一人になった俺は又、新しいメンバーに巡り会うため募集の貼紙をしたり、広告記事を追ったりしていたが、
(いつの間にか皆いなくなっちまった‥‥)
それが実際の所俺の立っている場所だった。
 次に奴らに再会した時には俺が抜けた残りのメンバーで大手のレコード会社からCDアルバムを何枚も出している立派なプロバンドになっていた。
 ある日映画やコンサート等の情報誌を見ていたら、懐かしいバンドの名前があるコンサートホールで公演することになっていた。
(よし、突然行って驚かせてやろう)
そう思い当日楽屋を訪ねた。懐かしい再会だった。ライヴ中のコメントで何だか『プロっぽい事』を言っているので終了後聞いてみたら、コンテストで入賞したのをきっかけにプロとしてやっているとの事。知らなかったので随分驚いたが、祝福したい気持ちと同時にバンドや音楽に掛けていた自分の夢はもう飛び立ってしまっている。その鳥はもう俺の処にはいないんだ、と実感した。
 新宿でハチャメチャにやっていた頃の懐かしい話が切なかった。
 まばたきするように、あっと言う間に過ぎた時代だった。

 その頃俺はアルバイトで入ったレストランバーで、コックとバーテンダーを掛け持って仕事をするのを切っ掛けに、又カクテルに触れる仕事に携わる様になっていた。