「水嶋くん」

教室の入口から聞こえた妙によく通る声。その声の主を見て、一瞬、聞き間違いかと思った。
いや、聞き間違いであると良いなと思ったというほうが正しいかもしれない。

「水嶋慶太くん、おるかな」

教室じゅうに響き渡るような声で呼ばれたそれは、やはり間違いなく俺の名前だった。

野球部で三年の森田篤。
この学校で彼を知らない人間はおそらくいない。

高校生離れした体格から繰り出す豪速球で、我が校の弱小野球部を甲子園出場に導いた、関西の中学校出身の四番ピッチャー。
どこを歩いていても目立つその彼が、わざわざ野球部でもなくスポーツコースでもない二年生の俺のところまでやって来る理由なんて、まったく思い付かなかった。

「水嶋慶太くん。ちょっとええかな」

日に焼けた顔から白い歯をにかりと覗かせて、彼はいった。

俺は昼休みのクラスに残っている全員の視線を一身に受けながら渋々立ち上がる。

食べかけのコロッケパンを袋に戻し、とりあえず「食うなよ」と中岡に押しつけておく。

「何しでかしたんだよ、慶太」と小声でいった中岡に「知らねえよ」とだけ返し、俺は教室の入口に立ちはだかる黒い壁、森田篤に向かって歩き出した。

教室の中央で固まっていた女子たちも、その中心にいる七瀬さんまでもがこっちを見ている。
森田篤に呼び出される俺の姿は、動物園のライオンの餌にされる生きた鶏みたいに見えているんだろう。
スポーツコースのエースと、普通科帰宅部、とくに秀才でもなく目立つ悪さをしてるわけでもない俺。

大丈夫。身に覚えはない。そもそも森田篤と俺にはなんの接点もないのだ。