社長にとり憑こうとしている煙状の黒い靄ではない。
黒い靄が濃縮して塊を通り越して形になっていた。人の形に。
それが背中から、覆いかぶさるように体の半分以上を覆われているのは、メタボなお腹をした禿げたおじさんだった。
おじさんの目は窪んでクマができ、太った体とはアンバランスなやつれた顔をしている。
あの顔は…死相って感じだ。
背中に背負った黒い物体は、意思を持つかのようにうねうねと背後で動いている。
あれはなんだろう。ただの負のエネルギーではない気がする。視ている私にまで背中に寒気が走る。


おじさんを連れた社長は、社長室には向かわず、外部との打ち合わせに使う用の会議室に案内していた。
私に気づいたおっさんが、社長の肩の上で大きく手を振っている。

「おーい、まどか!こっちこい!」

ちなみにおっさんの声は姿同様、他の人には聞こえないらしい。
でも視えない存在と会話する訳にはいかないので、返事しそうになった口を押えて「今、ムリ」とジェスチャー。
私も仕事がある。勝手に抜け出すわけにはいかない。
社長はその辺は分かってくれているので、浄化の仕事で私を呼ぶ時はちゃんと考慮してくれている。もし今も必要な事態なら用事にかこつけて呼び出してくれるだろうし。
でも、おっさんはそこら辺の機微がわからないらしい。
おっさんも生きてたころは社長さんやってたらしいけど、なんだか好き勝手に偉そうにワンマン経営してそうだ。
私が行かないと断りのジャスチャーをすると、おっさんは怒っていた。


「まどかちゃん?どうしたの?」

「っ!」

背後からかけられた声にびっくりして飛び上がりそうになった。
振り返ると、派遣の頃、同じ部署だった星野くんが不思議そうな顔をして立っている。

「知り合い?」

廊下には、会議室に向かって歩いている社長と黒いものを背負ったおじさんの姿しか見えない。


「ううん、別に。それより星野くん、久しぶりだね。元気?」

「元気だよ。まどかちゃんはどう?まどかちゃんが秘書室に行ってからウチの課、暗くなっちゃったよ」

「え?私そんなにうるさかった?」

「違うよ。まどかちゃんがいる時は雰囲気がよかったって意味」

「ほんと?」


星野くんは良い人だ。容姿は目を引くわけじゃないけど、爽やか好青年。
草食系で優しくて誰にでも分け隔てなく接してくれるし、将来有望と課長も太鼓判を押す優秀な社員さんだから派遣仲間の中では地味に人気があった。

こんな人を好きになったら、素直に好きですって言えそうだなあ。

ふと、朝のキスを思い出してしまい、そんなことを考える。
…こんな人を好きになったらって。
誰と比べて「好きになったら」って考えた?

いや違う。キスは補給。負けるな惚れるなぶれるな私。


「まどかちゃん?」

「ああ、ごめん、ぼけっとして。まだ新しい仕事に慣れなくてさ」

「そうなんだ。あんまり無理しないで。今度ご飯でも行こうよ。社員になったお祝いもしたいし」

「うん、ありがと」


そうだ。変なこと考えてる場合じゃない。さっきのアレのことで社長から呼び出しがあるかもしれない。
星野くんに挨拶をして、秘書課に急いで戻った。