ケータイ小説 野いちご

金の玩具姫

崩壊
家出

***

「……大丈夫……?」

 労るように、躊躇いがちに掛けられるか細いソプラノの声。

「……鈴也」

 声の主を無視して、少し遠いところにいる鈴也に俯いたまま話しかけた。

「……別れて」

 酷い言葉を何の感慨もなく投げかけるあたしは最低だ。

「……は?」

「これからは白虎総長として接して。もう、おしまい」

「っ、ふざけんなよッ」

「……知られたく、なかった」

 どうしていいかわからず、固まっている莱を押しのけて、立ち上がった。

「荷物は全部捨てておいてくれて構わないから」

 部屋を出て行こうとすると、腕を掴まれて引き止められた。

「待てよっ、何勝手に……!」

「知られたくなかった! 例えあたしに気持ちがなくても、恋人という立場のお前には、絶対!」

「知られて何の問題があるんだよっ」

「惨めになるのっ!」

 掴まれた腕を振り払う。

「そのことを知ってっ、腫れ物扱いされるのは! 余計、苦しくなる! 労って欲しいわけじゃない、腫れ物扱いなんかされたいわけじゃない!」

 普通でいいんだ。過去なんて、変えられない。自分で思い悩んで苦しんで、いつかそれが過去のことにできたらって、思ってるのに。

「腫れ物扱いされたらっ、あたしはいつまでも“被害者”ままだ! 被害者のままっ、いつまでも自分を悲観してたいわけじゃないのにっ!」

 前に進みたいって。ちゃんと進もうって思ってるのに。どうして周りは、邪魔ばかりする?

「これ以上……っ、他人を嫌わせないで!」

 他人を嫌いたいわけじゃない。むしろ、ちゃんと愛せるようになりたいって、思ってるのに。

 これ以上、嫌悪させないで。嫌にさせないで。

「っ、優愛!」

 なのに、どうして。引き止めたり、するの。

「誰もっ、お前を腫れ物扱いするなんて言ってない!」

「だとしてもっ、知られたくなかったのっ」

 たとえ腫れ物扱いされなかったとして。絶対、心のどこかにその話が記憶されてる。

 それがある限り、知らなかったときと全て同じになんて、絶対できない。

「レイプされた穢い体なんてっ、思われたくない!」

「そんなこと誰が言うか! もっと人間を信用しろよ!」

「信用できるならとっくにやってる!」

 掴まれた手を振りほどいて叫んだ。

「鈴也、迎えを呼んだからバイク置いてっていい?」

 あたしの手首を掴んだ莱がそういう。

「とりあえずさ、連れて帰るよ。お邪魔してごめんね。ふたりの頭が冷えたらまたふたりで話し合ったほうがいいと思う」

 かっとなったあたしは勢いのまま言ってしまった。

「お前が来なかったら……っ、真優を連れて来なかったらよかった!」

 傷ついた顔をした真優。ぎり、と手首を掴んでいる手に力が籠もった。

「……言っていいことと悪いことがあるでしょ」

「関係ない! あのことを知ったなら他人はみんな同じだっ」

 ばちんっ、と音が鳴った。左頬が熱を持ち始めたとともに、痛みを主張してくる。何が起こったか理解する前に、起こったのは拒絶反応だった。

 体の芯が震え始め、立っていられないほどになる。

 “大人しくしないと、もっと殴られる”

「……っ、ごめ、なさッ」

 怖い。また閉じ込められる。大人しくなるまで殴られる。

 また、抱かれる。

 怖い、怖い怖い怖い怖い怖い……っ

「い、いやだっ、いや、いやっ」

 足が震えて、力が入らなくなる。座り込んだあたしには、回りの状況なんて、目に見えてなかった。

「ごめっ、なさいっ、ごめんなさいっ、いやっ、いやだっ」

 いつの間にか、手首を掴んでいた手がなくなっていたことも、気づかずに。

「逆らわないっ、逆らいませんからッ、殴らないでっ、ごめんなさいっ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっ」

 何も聞こえないように耳を塞いだ。あの人の声を聞かないように。あたしを否定する声を聞かないように。あたしを壊す声を、音を。何も聞かないように。

 耳を塞ぎ、目を閉じた。何も、聞かないように。何も、見れないように。

 モノクロの世界なんて、見たくない。

 忘れたい、忘れられない。耳を削ぎ落としたいほど気持ち悪い。目玉を繰り抜きたいほど気持ち悪い。

 気持ち悪さと、嫌悪で頭がどうにかなってしまいそうだ。

 誰か、ずっとなんの危害も加えない人が、あたしを閉じ込めてくれたら――。

「――あ、」

「ゆ、……」

「優愛、」

 肩を揺さぶる手と、声に意識が回帰する。ぼんやりと映る見なれた天井を眺めた。

 ああ、自分の部屋か。

 ――!

 自分の、家の……?

「気がついた?」

 ベッドの傍らには、伯父さんがいた。がばっと起き上がって伯父さんに詰め寄る。

「か、母さん、は……」

「いるよ。莱が全部話してた」

 ……話したのか、結局。いや、話さざるを得なくなっただけ、か。

「そんな傷ついた顔しなくていい。優愛は何も悪いことしてないんだから」

 伯父さんの手が左頬に触れる。……莱に殴られた、そこ。

「とりあえず、シャワーでも浴びたら? 優愛が思ってるより時間経ってるよ」

 そう言われて時計を見ると、もう18時を回っていた。

「……でも、」

 下には母さんたちがいる。何か言われたらどうしよう。何か言ってしまったらどうしよう。

「萌衣(めい)が来てるんだ。リビングにみんな集まってるよ。大丈夫、バレない」

 その言葉を信じて、下に降りた。さっさとシャワーを浴びて、自分の部屋に戻ろうと階段を少し登り始めた時だった。

「……優愛」

 1番会いたくなかった人に、声をかけられてしまったのは。

「……やっぱり優愛だったのね、シャワー。髪、乾かさないと風邪引くよ」

「……うん」

「……杏莉ー、ってあれ、優愛寝てたんじゃないの? 久しぶり、また見ないうちに身長伸びたんじゃない?」

 母さんを呼びに来たんだろう、萌衣叔母さんが顔を覗かせた。

「せっかくだからこっちおいでよ、ほら」

 2階に行きたかったのに、リビングまで連れて行かれる。

「莉緒(りお)は期末があるから置いてきたの。期末が終わったら色々連れまわされると思うから付き合ってあげて?」

「……うん」

「ケーキ、もう食べちゃったんだって? ケーキ目当てで来たのに。せっかち」

 叔母さんはちょっと、いやかなりフレンドリーで。母さんが物静かだから、余計話してるように感じる。

 あたしが来たことで、リビングの空気が変わった。……だから来たくなかったのに。

「優愛、今日外食か今から作るか、晩御飯どっちがいい?」

 私は外食の方がいいんだけど、と叔母さんは笑う。

「……さっきまで寝てたから、あんまりお腹空いてない、かな」

 嘘だ。ただ食欲が湧かない。食べる気がしないだけ。

「みんなで、行ってきたら?」

 あたしがいても、邪魔でしょう?

「祝ってくれる気持ちだけで十分だよ」

 誰も、祝って欲しいなんて頼んでないのに。

 笑みを浮かべれば、父さんが眉間に皺を寄せた。母さんも何か言いたげに視線を彷徨わせる。

 ……でも、何も言わない。

 早く部屋に戻りたい。これ以上、この人たちといたら、ちょっとした拍子に暴言を吐いてしまいそう。

「じゃあ、」

 そう言ってリビングから出た。誰にも何も言わなかったことにほっと息を吐く。階段を登ろうとしたとき、優愛、と声がかけられた。

「……、……何?」

「……俺らには、本音すら言えない?」

 はあ、と溜め息が漏れた。

「……言ってほしいの? 父さんは。じゃあ、言ってあげようか?」

 振り返ってそこにいた父さんの顔を見た。

「あたしがいたら、邪魔でしょう?」

 小さく首を傾けると、父さんが目を見開いた。それに、と付け足す。

「……誰も、誕生日を祝って、なんて頼んでない」

 ぐ、と父さんが拳を握り締める。自分の胸に手のひらを当てて、嘲笑を浮かべた。

「むしろあたしは後悔してる。なんであたしを生んだの? ……あたしなんか、生まれてこなきゃよかった」

 胸に当てていた右の手首を掴まれた。見たことないようなとんがった父さんの雰囲気に呼吸が止まる。

 殴られる。咄嗟に目を瞑った。

「戒っ、戒がそれしちゃダメでしょっ!」

 手首を掴んでる腕が離れた。

「カッとなったからってっ、親が子供に手を上げるなんてっ」

 あたしと父さんの間に立ったのは、叔母さんで。

「思い通りにならないからって手を上げるなんてあいつらと変わらない!」

「そんなつもりじゃっ」

「……もういいよ」

 口論を始めた二人に向かって言い放つ。

「あたし、出てくから。……喧嘩すると母さんが困るよ」

「待って、出てくってどこに……」

「あたしがいて、喧嘩になったりするくらいなら、いないほうがマシでしょう?」

「そんなこと誰もっ、優愛!」

 自分の部屋に戻り、出かけるのに必要最低限、いるものだけ持って玄関へ向かった。靴を履いていると、伯父さんがリビングから出てきて声を掛けてきた。

「行く宛は?」

「……」

「……そっか。とりあえず体調管理だけちゃんとしなよ」

「……うん」

「バイクないらしいけど、歩いていけるとこなの?」

「……」

 多分、行ける。……はず。

「煙草は吸ってもいいけどお酒は控えてね」

「……アルコールはベタベタするから好きじゃない」

「そ。ならいいんだ」

 というか、煙草は許してくれるんだ。莱くらいにしかああだこうだ言われたことなかったから少し驚き。

「……落ち着いたら、誰でもいいから連絡しなよ。誰とも音信不通だと流石に探されるよ」

「……うん」

 行くな、とは言われない。全部強制したりしない。この人がいるから、あたしはまだ、ここにいられるのかもしれない。

 あたしが、もし、普通の子で。病気も何もなかったら、あの時のことは時が経つにつれ風化し、あの時の前のように戻れていたかもしれない。

 けど、時間が経つにつれ、感じるのは。あの時味わった痛みと、苦しみ。そして、底のない暗い、暗い穴に堕ちていく感覚。

 小さくなる光に縋って手を伸ばしても、この手が何かを掴むことはなく、ただ堕ちていく。

 水の中にいるように、息が苦しくなって、藻掻いて、足掻いて、結局力尽きて。

 そして辿り着いた世界は、音のない静寂の世界。怖くて怖くて、終わりに手を伸ばしても。邪魔ばっかり、されて。

 時間はただ、痛みを加速させていくだけなのに。誰も、あたしの言葉を聞き入れてくれない。

「いってらっしゃい」

 玄関が閉まるとき、背後からそう聞こえた。いってらっしゃい、という言葉の裏に隠された想い。

 “いってらっしゃい。また、ちゃんと帰っておいで”

 あたしには、それをどうしていいかわからない。

 そっと空を見上げると、まだ紺色の空なのに、小さい星がたくさん浮かんでいた。

 初夏なのに、酷く寒く感じる。いや、寒いんじゃなくて自分の体温が抜け落ちていく、ような。

 冷めていく。冷えていく。身体が――心が。

 もし、心が完全に温度を失ったとき、あたしはそれでも、ここに立っていられるんだろうか。

***

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