ケータイ小説 野いちご

金の玩具姫

崩壊
逃亡

***

 ――助けてくれ、と。確かにあの日、あの時、あたしは縋ったんだ。

 気持ちのない“アイシテル”と、揉み消されていく“あたし”、上書きされる“アンリ”。

 あそこに、あたしを受け入れてくれる人なんて、いなかった。

 あたしは。あたしはただ、あの人を――。


「優愛」

 誰かの手が肩に触れた瞬間、ぱちっと目が覚めた。若干ぼやける視界に飛び込んで来たのは、色素の薄い白銀。

「大丈夫? 魘されてたよ」

 支えられゆっくり上半身を起こす。外から聞こえる、こつこつと窓を叩く雨音に、ぼんやりとそちらに目を遣る。

「……今、何時?」

「もう11時。昼のね」

 ……そんなに長い時間眠ってたのか。いつ眠ったのかわからないくらい昨夜は混乱してたからなんとも言えないけど。

 枕元に置いてあった煙草を手にとって火をつけた。煙草は一口目が美味しくて好きだと思う。フィルターが短くなるとどうしても苦味が強くて、一口目の美味しさが恋しくて、連続して何本も吸ってしまう。

 ……今更だけど、あたし自分の部屋で寝てたんだ。運んでもらったのか。悪かったな。

 煙草をつけたのはよかったけど、あんまり落ち着かなくてすぐ火を消した。なんだろう、この胸騒ぎ。

「……優愛、今日なんの日かわかる?」

 今日? 今日は6月24日……何かあったっけ。……、……ああそうだ。

「……あたしの、誕生日」

「誕生日おめでとう。……今の状態で杏莉に会って大丈夫?」

 ……え?

「……か、帰って、くるの……?」

「莱から聞いてない? もう家着くってさっき連絡が入ったけど」

 ……嘘、もう、着くって……。

「何も、そんなっ」

 慌てて煙草とバイクのキーと財布を掴んだ。

 あの人には今、会いたくない。会ったら、何を言ってしまうかわからない。悲しませたくない。ただでさえ、困らせているのに。

 部屋を飛び出して、玄関に向かう。丁度そこには、莱がいた。玄関の扉を開いて、外にいる人と笑い合う、莱が。

 ――あぁ。

 莱が振り向く。玄関先にいた人と、目が合った。

「……ただいま、優愛」

 左右色の違う、白銀と血色の瞳が慈愛を孕んで細められる。

「あ、お姉ちゃん。久しぶりっ」

 ラフな格好の母さんの後ろから顔を出したのは、妹の真優(まゆ)。父さんそっくりの顔に、髪と瞳は母さん。

 3人のきょうだいの中で、母さんに似たのは、あたしだけ。……そう、あたしだけが、母さんに似てしまった。

「お姉ちゃん、ケーキ買ってきたよ。ショートケーキ、好きだったよね?」

 嬉しそうに笑ってケーキの箱を見せてくる真優に、泣きたくなった。

「……ごめん、今日は用事がある」

 震える唇から言えたのは、それだけだった。これ以上言えば、余計なことまで何も知らない真優の前で口走ってしまいそうで。……真優は、知らなくていいことだから。

「……用事なんてあった?」

 靴を履いてるあたしに莱がわざとらしく言ってくる。

「彼氏に呼ばれた」

 莱に何か言われる前に家を出た。

 ほっと息を吐いてバイクを停めてある車庫に向かう。そこには、見知った人がいて。

 ……さっき玄関にいないとは思ったけど。

「優愛じゃん。誕生日おめでとう。どっか行くわけ?」

 莱と真優そっくりの顔に、あたしと同じ髪と目。いや、正確にはあたしたちがこの人に似たんだけど。

「……彼氏のとこ、」

 ぽつり、呟いてバイクにキーを差した。

「……まだとっかえひっかえやってるの?」

「……、……父さんに、関係ない」

 いろいろこぼれてしまいそうになった言葉を飲み込んで、バイクを押した。

「後で後悔するよ。そんなことばっかりしてると」

 遠回しに別れろと言ってくる。遊びで付き合う必要はないって言う莱。遊びは止めろって言ってくる父さん。何か言いたげにするけど結局何も言ってこない母さん。

 ……母さんも、父さんも、莱も。何も、わかってない。わかってくれない

 バイクに跨って、ヘルメットを被る。そして、呟いた。

「……監禁されてレイプされたあたしが、まともな恋愛できるって、本気で思ってんの……?」

 震える声で吐き出された言葉。父さんが息を呑んだのが聞こえた。

「信じる方が馬鹿らしい。……愛情なんて」

 そう吐き捨てるとバイクを走らせた。家を出たのはいいけどどこに行こう。白虎に行く気はない。……父さんたちに言った通り、アポ無しで行ってみようかな。

 うまくいけば、数日匿ってもらえるかもしれない。しばらくバイクを走らせて、目的地に着いた。

 ヘルメットを取ると、騒がしくなる倉庫。それらを全部無視して2階に上がった。

 ヘルメットを被ってたおかけで頭は濡れてないけど服は雨でベタベタ。最悪だ、と思って幹部室の前に着くと、一応ノックする。

 騒がしかったのが静かになってほんの少し居心地の悪さを感じたけど、扉を開けた。

「……え、は? 優愛じゃん」

「……優愛? どうしたんですか?」

 素の荒い口調とは違う、丁寧で物腰柔らかな鈴也が立ち上がり不思議そうに見下ろしてくる。

「……少し、付き合って」

 吟味した結果、言えたのはこの一言。……アポ無しだからな。これで駄目だったらどこでしばらく時間を潰そう。

「……リア充ムカつく」

「え、遊びかと思ってたけど優愛から誘うって、本気(まじ)なの? へー、鈴也よかったじゃん」

「行ってこいよ、確か優愛、今日誕生日だろ」

 ……誕生日言った覚えはないんだけど。

「莱情報だ。んな不快げな顔すんじゃねえよ」

 拓哉がそう言って笑う。

「……じゃあ行きますか。その前に」

 あたしの服に視線を落とした鈴也は腕を掴んで2階の奥に歩いて行く。

「服の代えはねえからタオルで拭いとけ」

 連れて来られたのは2階の奥の、鈴也にあてがわれた部屋。

 黄龍の倉庫は立派だから、泊まれる部屋とかがたくさんある。白虎は2、3部屋しかないけど。眼鏡を外した鈴也に不思議そうに問いかけられた。

「急にどうしたんだよ。しかも、こんな濡れてるってことはバイクで来たんだろ?」

「……しばらく匿え」

「どこにだよ。莱と喧嘩でもしたのか」

 ……喧嘩だったらどんなにいいか。

「……駄目ならホテル行くからいい」

「駄目っつってねえだろ、早とちりすんなよ」

 苦笑を浮かべた鈴也はタオルを投げつけてきた。

「……昨日帰ってからなんかあったのな」

「昨日あったとか、言ってない」

「服がそのまんま。着替える余裕もなかったのかよ」

 ……帰ってきてすぐに口論して、伯父さんと話してるうちにいつの間にか寝てて、さっき起きてすぐに飛び出してきた。確かに、着替えてない。お風呂は昨日鈴也の家で入ったからいいけど。

「俺んち行くか? 数着なら着替え置いてあったし」

「……行く」

「……けどお前、バイクだよな」

「……2ケツ?」

「俺も濡れろってことかよ。んじゃバイクのキー貸せ」

 言われてバイクのキーを投げ渡す。タオルで拭いたけど、これから濡れるんだから意味ないな。

 眼鏡をかけた鈴也に手を引かれて階段を降りる。鈴也がバイクを運転して、あたしはその後ろに乗った。

 鈴也が一人暮らししてるマンションは案外倉庫に近くて、すぐについた。バイクを停めて、エントランスを通りすぎて、エレベーターに乗る。

「……くしゅッ」

「雨の日にバイク乗って風邪引いたとか、ただの馬鹿だろ」

 鈴也の家に上げてもらって、とりあえず着替えた。

「なんか飲むか?」

「ミルクセーキ」

「お前それ好きだよな」

「……じゃあホットミルク」

「どっちだよ」

「ホットミルク。甘いの」

「はいはい」

 おかしそうに笑った鈴也を見送って、ソファに膝を抱えて座り、窓の外を見る。

 雨は好きじゃない。濡れるし、冷たいし。なんか、心がすっと冷えてくから。

「できたぞ」

 目の前にホットミルクのマグカップを差し出される。

「熱いぞ」

 口を付けようとして、止めた。テーブルにマグカップを置くと、笑われる。

 ……猫舌なんだから、仕方ない。湯気の立つそれを恨めしそうに眺めていると、隣に鈴也が座った。

「んで? なんで俺んとこ来たんだ」

「……1番初めに顔が浮かんだ」

 マグカップを手にとって、冷えた指先を温める。

「……」

「……家に居づらくなった。だからお前に呼び出されたって家出てきた」

「……今日、誕生日なんだろ。親とかがいんじゃねえの?」

 ……だから気まずいんだよ、察しろ馬鹿。

「……慰めろ」

「どうしたんだよ、急に」

「そっちの意味じゃない。馬鹿」

 マグカップをテーブルに置き直した。

「……いろいろあっていろいろ泣きたい。役得でしょ、慰めて」

 慰めて、なんて恥ずかしくて横を向きながら言うと、ふ、と笑われてそのまま抱き締められた。

「上から目線だな、お前は」

 温かい人の体温に、一瞬体が強張る。だいぶ慣れたな、と内心呟いて身を預けた。

 監禁されたときに暴力を振るわれたのが原因で、人に向けられた手に怯えたり、触れられた瞬間振り払ったりとか昔はしてたけど、今ではそれもほとんどなくなった。

 少し進歩、と自分自身を褒める。……ああ馬鹿らしい、子供みたいだ。

 ぎこちない手付きで頭を撫でられる。

 鈴也が向けてくる目と、あたしを監禁した人が向けてきた目は、似てるようで似てない。

 どれだけ、いろんな人に“愛情”を向けられても、思い出すのはあの狂った目で。鈴也の目が、あの狂った目に変わってしまったとき、あたしはどうしたらいいんだろうか。

 狂ったほうが悪い? 狂わせたほうが悪い?

 きっと、あの人は狂わせたほうが悪いと即答しただろう。怯えを悟られないように鈴也の胸に額を押し付けた。

 いつもならこんなことしない。けど、昨日の今日で、母さんに会ってしまったのは随分とキた。玄関で母さんを罵る言葉が自分の口から飛び出さなかったことにほっとした。

 あの様子じゃ昨日のこと、知ってるかどうか怪しいし。莱はいつも、都合のいいことだけ報告しないし、教えない。

『……監禁されてレイプされたあたしが、まともな恋愛できるって、本気で思ってんの……?』

 ……なんか、馬鹿みたいだ。自分で言った言葉に、傷付くなんて。

 じん、と目頭が熱くなった。泣いちゃ駄目、泣いちゃ、駄目。

 微妙な変化を感じ取ったのか、鈴也の抱き締める力が強くなった。……駄目だ、止まらない。

 1度あふれだした涙は止まらなくて。漏れそうになる嗚咽を隠すのがやっとだ。

 ――そのときだった。

 スマホの着信音が鳴り響いたのは。取る様子のない鈴也の胸を押して、呟いた。

「……鳴ってる、早く出ろ」

 急用かもしれないんだから。泣き顔を見られないように顔を背ける。渋々といった調子でケータイを取り出した鈴也。

「……なんでお前から電話がかかってきてんだよ」

 その言葉に、心臓が凍り付いた。

***

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