「ちょっとケンカみたくなるかもしれないけど、よろしく」


 いろいろ考えていると、ポンッと肩に手を置かれた。


「け、ケンカ?」

「まあ、千奈美だし大丈夫だと思うけど~」


 ケンカなんて、千奈美としたことがないかもしれない。
 啓子とは、どこのスウィーツ食べに行くかで揉めに揉めてケンカじみたことになったりとか、しょうもないことで言い合ったりもしたことがある。
 けど、千奈美とはない。

 そういう状況でも千奈美はなだめる係りで、怒ったりしたりするところも見たことがないかもしれない。

 妊娠は病気じゃないから、つわりの治療法とかもほとんどない。
 とはいえ、きちんと診てもらうことは大切だっていうし、嫌がられても連れて行かなきゃいけない。
 そしたら、ケンカにもなるのかな?


「とにかく、逃げないよーにガッチリ捕まえててねー」

「う、うん。わかった。頑張る!」


 私も腹をくくろう。
 さすがに妊婦さん相手に手荒な真似はしないだろうし、これも千奈美のためだよね。

 でも、そんな覚悟が必要なかったぐらい、あっさりと千奈美は啓子に拉致された。
 拉致なんて物騒な言葉とは縁遠いほどあっさりと、普通に連れ出せた。


「千奈美、ちょっといいかな?」


 ショートホームルームが終わると同時に、啓子よりも席が近い私が千奈美に駆け寄った。
 声をかけると同時に帰らないようにがっちり腕をつかむ。
 いきなり腕をつかまれて千奈美は目を白黒させていたけど、私がつかんだ腕とは逆の手を啓子につかまれた。


「今日、塾ない日だよね~? アタシのうちにおいでよ」


 にっこりと微笑んで、そう提案する。
 まずは千奈美を家に連れ込んで、じっくりと説得する作戦みたい。

 啓子のにこやかな口元とは対照的に有無を言わさない真剣な眼差しが怖い。
 目が笑ってない啓子に私も思わずひるみそうになったけど、千奈美は負けてなかった。


「り、臨時講習があるの……」

「そっかー」


 啓子はそう言うが、臨時講習というのが嘘なのは知っていた。
 千奈美と同じ塾に通っているクラスメイトが、今日はカラオケで歌いまくるとノリノリで叫んでいたから。

 仕方がないのかもしれないけど、嘘をつかれたということが地味にショックだった。
 でも、そんなことでめげるような啓子じゃない。


「大丈夫だって! 千奈美は皆勤賞なんだから~。一回ぐらいサボったって、ダイジョブダイジョブー」


 歌うように啓子が言う。
 本当に塾があるなら大丈夫なんかじゃないんだろうけど、嘘なのをわかっているから。

 引き下がる気がないのを悟ったみたいで、千奈美の動揺が腕から伝わる。
 なんとか私たちから逃げ出そうともがくけれど、私は啓子に言われた通りガッチリ腕にしがみついて放さない。

 ここで千奈美を帰してしまったら、もうチャンスはないかもしれない。
 千奈美と話したい。
 啓子と三人で、千奈美と千奈美と夏樹くんの赤ちゃんのことで悩みたい。


「じゃっ、じゃあ……お母さんと約束があるの!」


 じゃあってなんだ。
 そう思わず心の中で冷静に突っ込んでしまう。
 約束があるって言うなら、やっぱり臨時講習は嘘じゃん。
 支離滅裂な千奈美の言葉に、啓子は素知らぬ顔で応援する。


「また今度にしてもらいなよ~。アタシは、今日じゃなきゃダメなの!」

「えっと、えっと……じゃあ、じゃあ…………」


 明らかに言い訳を考えてる間もあって、千奈美はあれこれと嘘の理由を上げて啓子の家に行くのを拒否する。
 千奈美と違って啓子は考える間もなく次々とそれに応えて家へと誘う。

 見るからに焦る千奈美。
 笑顔のポーカーフェイスの啓子。
 とにかく逃がすまいとしがみつく私。

 いつの間にか、教室には私たち三人しか残っていなかった。