仕事中に近づいてきたのも、抱きしめてくれたのも、痴漢から助けてくれたのも、広海くんから助けてくれたのも、キスをしてくれたのも――全部。

仕組まれてたことで、偶然なんかじゃなかった。

何度も何度も助けてくれて、その手で引っ張ってくれた。
それを私ひとりが勘違いして、恋をして……。

全部、この人は計算の上だった……?

「そう。目的は、茉莉の父親だった」

私は初めから、見てなんかもらえてなかった。

視界が滲んで、どう立ったらいいのかわかんなくなって、その場に座り込んでしまう。
私が崩れ落ちるのを見た彼は、少し慌てたように「茉莉」と口にして私に駆け寄ってきた。

彼が伸ばしてきた手を、私は無意識に払いのける。

「っあ……」

あれだけ救われ、焦がれた手を、私は今拒否した。
だって、思考がついていかないよ。この気持ちをどう消化すればいいの?

払いのけた手が震える。その手をもう片方の手で押さえるようにしながら、恐る恐る膝を折っている彼を見上げた。
そこに見えたのは、想像していたものじゃなくて目を見開いてしまう。

もっと、義務的な感情からの冷淡な目だと思ってた。
だけど、目に映った彼は、僅かだけど傷ついたような瞳をしていた。

行き場を失った手をゆっくりと引っ込め、彼は俯きがちになりながら漏らす。

「ごめんな」

そう言って立ち上がると、そのまま夜道を歩き進めて行ってしまう。
一度も私を振り返ることなく。そして、私も声を掛けることもせず。

その彼の小さな声は、彼が見えなくなってからもずっとずっと私の耳に残っていた。