「驚いた。どうした? 夜にひとりで外に極力出ない方がいい」
「えっと……あ、あの。メ、メガネ! そう。メガネをうちに忘れてたから」

明らかに挙動不審な私が差し出したメガネを、斎藤さんはハッとしたような顔で視線を向けた。
だけど、すぐにいつもの余裕顔に戻ると、手のひらにあるメガネを受け取ってすぐに掛けていた。

「ああ、本当だ。わざわざありがとう」

メガネの奥の笑顔が、ビジネスライクに感じる。
線を引かれた気がして、それ以上は口を噤んだ。

「じゃあ、私はこれで」

さっきまでの気持ちが嘘みたいに、彼といるこの空間が気まずい。
私は悪いことしてないはずなんだけど、メガネのこととか今の話していた相手とか、そういうことに首を突っ込みかけてしまったせいか罪悪感を感じる。

勢いよく身を翻し、斎藤さんを追っていた時と同じくらいの速度で足を進めようと数歩歩き出すと、右手をガシッと掴まれた。

「待て。ひとりで行くな」
「えっ。でも」
「……いいか。そのままで聞けよ。俺のもう少し後ろで、誰かこっちを見てる」
「だ、誰かって」
「動くなって」

小声で強めに制止され、私は肩を竦めた。
斎藤さんに手を掴まれると、いつもは汗が噴き出そうなくらい熱くなるんだけど、今はその逆。血が通ってないかのように手が冷たくて、落ち着こうとしてる気持ちに反して小刻みに身体が震える。

「厄介なとこを見られたな」
「ご、ごめんなさい」
「いや。俺のせいだ。気づくのも遅れた。とりあえず、さりげなく広い道に出る。俺から離れるな」

低い声で言われ、私は斎藤さんに誘導されるまま、ぴたりとくっついて歩き出す。
背後が気にならないわけがない。でも、振り向いちゃいけないって言われたし、振り向く勇気もない。

急ぐことなく、至って普通に歩いていくと、車や人通りが多めの道路に出てひとつ息を吐いた。
斎藤さんは、頭は動かさず、意識を後ろに向けて何かを確認する。

「やっぱり何もしてこない、か。よし。このまま帰ろう」
「え。でも、斎藤さんはせっかくここまで来たのに」
「ここで放っておくなんてできるわけないだろう。いいから」

そうして結局一日に二度も家まで送り届けられる。
時間にして十分未満だったけど、その間、さっきの〝みのりさん〟との会話については触れることが出来なかった。