「ああ、お願いだから。生きてくれ! 私は現在(いま)を無くしたくないんだ。この幸福を奪わないでくれ。死なないでくれ!」

 涙が止まらない。

 私は自分が年を取ったと思っていた。あの少年より、少なくともずっと大人だと思っていた。少年の迷いを子どものそれとして戒めるつもりでいた。しかし、一体これは何なのだろう。私はなんと思い上がっていたのだ。

 あの時、少年の日、彼に会った時の生きたいという衝動は、未来に向かったものだった。自分の未来を握りつぶしたくないという衝動だった。しかし、 今のこの衝動は、現状を維持したいという衝動だ。何とも後ろ向きな衝動ではないか。これも大人になるという事なのだろうか。私の望んだのは、こんな自分 だっただろうか?

 目眩がするほどの自問自答が私の中で繰り返され、やがて私の内を駆けめぐっていた衝動が潮が引くようにスーッと収まっていった。

 私は立ち上がり、ズボンに着いた砂を払い落とした。そして、少年の困惑しきった顔を真摯に見つめた。

「……すまなかった、少年よ。――私は自分の欲望にのみ忠実になっていたようだ。君の未来は君だけのものであって然るべきだったのに。たとえそれが、今ここで終えられるものだったとしても」

 少年の表情はますます混乱を来す。しかし、私はもう迷わない。

「すまなかった、少年。君の自由にするがいい。もはや私にいう言葉は何もない。願わくば生を選び取ってくれ、と言うところだがそれもまた君の自由 だ。私は間もなくここを去る。もう会うことは無いだろう。君にかけるには妙な言葉だと思うのだが他に言葉を思いつかない。達者でな」

 私は呆然とする少年の視線を背に受けながら、来た道を戻り始めた。

 たとえ今この瞬間、少年が死を選択し、この世から自分の存在が消えたとしても、私は満足感を抱いたままで逝けるだろう。私は自分の選択に満ち足りていた。