「椎名」


ふいに夕夏が彼を呼んだ。椎名は、あわてて頭を上げた。夕夏の黒い大きな瞳が、迷うようにきょろきょろしていたが、やがて視線が定まって、椎名の白衣のポケットに差してある紅色のボディを持つ万年筆をとらえた。この万年筆は、椎名が、夕夏の心療外科技師としての最初の仕事の日に贈ったものだが、彼女は受け取らず、今は彼が愛用しているのだった。


「どうかしたのかい」


「よければ、話を聞いてくれないか」


椎名は書類をデスクの上に置き、少し開いていた窓を閉じると、来客用のソファに座り込んでいる夕夏を、微笑んで見つめた。


「完璧」になる心療手術が失敗したあと、椎名は傷ついた夕夏のために、カウンセリングの時間を取るようになった。そして今日もその時間になりそうだ。椎名は手早く準備をして、部屋の片隅にあるオフィス用の給湯ポットに足を運んだ。そして、手早く彼女が好きな紅茶を入れる。自分用にはストレート、彼女のカップにはミルクを注ぐ。