・・・何だと、バカ野郎。

 勿論、私は盛大なブーイングをかまそうとお腹に力を入れた。

 だけど、出来なかったのだ。

 なぜなら運転席の男がハンドルをもちながらごそごそとやって、背中から出したのは見事な出刃包丁、それを、よりによってハッキリとこちらに向けたのだ。

 ・・・今それ、あんた一体どこから出した!?私は瞬時に緊張したけど、考えたのはそんなことだった。

 ベビーシートに雅洋を寝かせていたなら、危ない位置だった、と思った。私は息子を抱っこしていたので、包丁はすぐには届かない距離だ。だけどこの狭い車の中で、大きい鞄とベビーシートに囲まれた私の動ける範囲はほとんどないと言っていい。

 つまり、逃げられない。腕には赤ん坊。・・・・畜生、何てことなのよ!

「・・・何してるか判ってるの?」

 落ち着いた声で一応聞いてみる。自慢にはならないが、私は今までの人生で既に3回ほど刃物を向けられた経験がある。そのどれもが運よく腕を掠る程度で命は無事だったし、その時は恐怖を感じる暇がなく、ただ腹が立っただけだった。

 だけど今は、守らねばならないものが腕の中にいる。自分一人ではない、それが、突如として恐怖心を湧き起こらせた。

 警察が動くという話から返って冷静になったらしい運転席のバカ野郎は、前をチラチラと見ながらついでに私を威嚇した。

「勿論判ってる。もうついでだから、ちゃんとした犯人になろうって思ったんだよ。あんたらには申し訳ないけど、込み入ってくるだろうからちょっと黙ってて欲しいんだ。こっちには凶器がある、それをよーく覚えておいてくれ」


 舌打を堪えるので精一杯だった。