例えばの話ですが、お友達と電話で会話をしている時に相手の動作を把握出来ますか?
おそらく音声だけで相手の動作を把握する事は殆ど不可能なはずです。
映画やドラマを観ている時も同じく、その音声だけでは内容の把握は凄く困難。

そろそろ察したと思いますが、つまり動作描写の無い作品は、情報量の少なさから作者が伝えたい事の殆どが読者へ伝わら無いのです。
これは非常に勿体の無い事だと私は思う。
折角、考え出された作品を殆ど理解出来ないとは惜しい気持ちになるのです。

情報量の少ない小説で一番多いのが、セリフのみでストーリーが進行していく作品です。
通称『セリフ進行』と呼ばれるこの手法は、いくらストーリーが良くても、いくら作者が伝えたい事があっても殆ど何も伝わりません。
内容が“観えている”のは作者のみであり、読者が分かるのはセリフのみなんです。

人間を含んだ物体は様々な動作を見せます。
だから、触れたり走ったり等を文章にする事で、読者にその映像を観せるのが動作描写の目的。
少しだけ、簡単な例文と共に解説してみましょう。