芸術家とギャンブルに奔る者を同じにしてはならない。
ギャンブルにある執着は、すり減らされていてどこかリストカットに近い。
芸術家の収集癖や執着は、彼ら自身の物であるかのように振る舞い、わが家にいるような安らぎだけをそこに与える。
魂などと抽象的過ぎて、ハナにもかけないが芸術家はそれが月並み過ぎるほどの動機であり、活力源なのである。
言葉はいつも不粋に絵画を傷つけて来たが、それが出来ないで、物は書けない。詩作や小説におけるたち位置は、音楽と色彩を侮辱してしまう。作家はそれを越えなければならない。
架空であれば、侮辱や不粋など揶揄されはしない。あまりに作家が酔しれ、失策しないとも限らない。絵画や音楽は、文字を越えている。
言葉は、虚しく騒音と化し裁く。
けれど、一個の知識の共有材料として理解を求めたいだけなのだ。
それだけは、わかって欲しい。
それは、登場する彼らを理解する事に他ならない。