世界の説明書                   古川 尚光 フルカワ ヒサミツ 


 
は、はっ、 はっつ くっしょん   ふうう


今日はいつにもまして花粉が舞っているようだ。結婚してすでに五年になる夫、正人の朝食を作りながら、明子は、その目に見えない小さな悪戯者に慣れたように抵抗していた。いつも通り、朝はパンしか食べないという夫のこだわりが何の映画から会得したものなのか想像をめぐらしながら、二つの目玉焼きの黄身に火が通り過ぎないように気をつけていた。
 
チン

焼きたてのトーストは、ほのかに甘い香りを部屋中に振り撒いた。そして、いれたてのコーヒの香りが、程よくそれと混ざり合い、いつも通りの朝が来た事を正人に告げていた。
世界は、退屈なほど穏便に、また、静かに、その一日を始めた。

「今日は、俺は夕飯いらないからね。 最近会社の同じ部署に入った新人の歓迎会があるんだ。まあ、たぶん終電では帰ってこれるとは思うけど、名子と先に寝ていていいからね。」


「勿論、寝ていますようだ。」と明子はいたずらっ子の様にぺろっと、正人向かってに舌を出した。明子がこういう事をする時は、大抵何かしら楽しみな予定がある時だった。

 「今日は、私も名子も幼稚園のお母様方と絵画教室の見学にいくの。ほら、最近 駅前にできたあの大きなビルに入っている教室よ。なんでも、すごくいい先生がいるんだって。フランスにある、なんとかという大学でも教えていた人らしいの。名子はお絵かきが大好きだから今のうちから勉強させておくの。将来はピカソのような画家になっているかもしれないしね。」


自分の人生を考える時に、一度として画家という道なんて想像すらしたことが無い右目が色弱の正人は、