カメリア女学園の中等部に入る前まで、桐原恵梨沙はどこへ行っても誰からも可愛いとほめられていた。椿の園(カメリア女学園のあだ名)に入ってしまうと、生徒は全員きれいだし、女の世界なのでそういうことは意識しなくなったが、ひとたび校舎の外を歩けばほとんど誰もが恵梨沙を振り返る。

 亡き母親はそれこそ十人並みの容姿だったが、父親が北欧系アメリカ人だったので恵梨沙は日本人離れした顔立ちをしている。絹糸のように柔らかい褐色の髪に白皙の肌、灰色の瞳は父親からもらったものである。生前、母親は「あんたはお父さんに似ているから、あたしと違ってきれいなのよ」と口癖のように恵梨沙に言い聞かせていた。恵梨沙がその父親の顔を見たことはない。

 恵梨沙は母子家庭に育った。外国人男性が好きな母親は、基地のある町で次々と米兵と知り合っては別れていた。自分の母親に娘を預けては、よく男とデートをしにいったものである。

 母親は町の工場で働いていたから、恵梨沙は一人で留守番をしていた。いつも小学校から戻ると、卓袱台の上に置いてある五百円硬貨をポケットに入れ、夕飯の惣菜を買いにいっていたものだ。あの年頃の子どもにしてはしっかりしていたのではないかと彼女は思う。町には恵梨沙の他にも混血児が何人かいたので、小学校の中で特にいじめられることはなかった。

 容姿だけでなく優れた頭脳も、遠い血筋との交配による恩恵だった。小学生の頃から学校での恵梨沙の成績は常に一番だった。IQテストの得点も高かったので、このまま行けば地元の名門進学校に入れるだろうと教師たちから言われていた。彼女自身もそのような未来を期待していた。