ドアノブがゆっくり動き、快の長い脚がゆっくり家の中に入る。

「快?」

 その音を聞きつけた紗織がスリッパの音を響かせ、足早に玄関へやって来る。

「遅かったのね、どこ行ってたの?」

「あ……」

 時計の針はもう八時になろうとしていた。

「瀬奈ちゃんとこ?」

 答えない快にたたみかけるように紗織が言う。

「……うん」

 快は小さくうなずくと靴を脱ぎ、紗織の横をすり抜け、自分の部屋に入った。

 几帳面な快によって綺麗に整理整頓されている六畳の洋間。瀬奈の部屋と比べると、黒のセミダブルベッド以外は多少、色のある室内だ。家具はブラウンで統一され、カーテンと壁とカーペットは優しいアイボリーで包まれている。

 ――落ち着く。

 瀬奈にとって"理想の世界"が自分の部屋であるように、快の部屋もまた、快だけの"理想の空間"だった。どんなに瀬奈が大切で愛しくて一緒にいたくても、やはり自分の部屋が一番落ち着ける。

 ふと、さっきまで一緒にいた瀬奈を思った。暗い家に一人きりでいる瀬奈。あの家で、彼女は今、何を考えているのだろう? しかし、深く考えを巡らせる前に、彼女と愛し合った事による疲労感が身体の辛さにプラスされ、快はたまらずベッドに倒れ込んだ。

 ――何か……何もかも、どーでもよくなってき……た。

 目を閉じると、疲れからすぐに意識が遠のき始める。今なら、眠れるような気がして、快はそのまま、意識を解放した。



「快!」

 どれくらい経ったのか、紗織の呼び声に快は目を開けた。

 ――え……。

 枕元に置いた携帯電話を手に取り時刻を確認する。随分そうしていたように思ったが、実際は十分も経っていなかった。

「夕飯食べる?」

 ドアを開けて紗織が聞いてくる。快は上体を起こし、じっと母親を見た。

「少しでもいいから……食べない?」

 心配そうな表情で紗織が快を見ている。快はベッドを降りるとデニムのポケットに両手を突っ込み、ゆっくり部屋を出た。