天体ショーが終わり、二人はサッサと立ち上がった。が、俺は立てなかった。眩しさに目がまだ慣れない。星の瞬きではなく、真理子ちゃんの横顔に目が行っていたために、目を開けられないのだ。
「真理子ちゃん、立たせてて上げて」
 事務員さんの声に促されるように、真理子ちゃんの手が俺の肩に触れた。一瞬、電気が走った。鼓動が高鳴り、耳がガンガンする。

 車の中で、二人が作ってくれた昼食を摂った。目を合わせることができない俺としては、バックミラーの中の真理子ちゃんを盗み見するのが、精一杯だった。
「お味はどう?」
 問いかけられても、正直のところ味などは分からなかった。
「すごくおいしいです」
「どうしたの。さっきまでの威勢の良さは、どこにいったの? それとも、美女二人のご馳走に感激しているのかナ?」
「まったくその通りです。のどを通りましぇーん」

「そう言う割には、よく食べてるじゃない?」
 事務員さんは俺に声をかけてくれるが、真理子ちゃんは事務員さんだけに話している。淋しい気持ちが襲ってきていた。
「あのぉ、リンゴはお好きですか?」
 初めて声をかけてくれた。どうやら、事務員さんに促されたようだ。
「はいっ」
 思わず素っ頓狂に答えた。その答えぶりに、どっと二人が笑った。

 時計の針は、一時半を指している。事務員さんの希望で、車の少ない方向に下りることになった。こちらの方向は初めてだった。我々のG市ではなく、S市に向かうことになる。出来るだけ長い時間のデートらしきものを楽しみたい俺としてもありがたい。真理子ちゃんの声も聞かず、すぐに走らせた。
 少し行くと、小ぢんまりとした台地があった。車を止めて、外に出た。事務員さんはそこで大きく深呼吸した。真理子ちゃんも並んで、大きく空気を吸い込んでいる。

 俺は、後ろで何とか好印象を持ってもらおうと、いろいろと考えた。しかし、何も浮かばない。気の利いた会話が浮かばないのだ。車の話だったら、それこそ何時間でも話せるのだけれど。
 もしも学校で「恋愛講座」を開いてくれたら、俺も真面目に学校で勉強したろうに。ついでに「友だちの作り方」なんてのも、さ。と、自然が俺の味方をしてくれた。山の下から吹き上げる風が、見事に真理子ちゃんのスカートを捉えた。

「キャッ!」
 真理子ちゃんが奇声を発し、左手でスカートを押さえ右手で顔を覆った。確かに見えた、白い物が。それはほんの一瞬のことだ、だから俺は見えなかったと答えた。しかしなおも、「うぅーん、見たでしょ!」と、詰問された。見たと言えば、その場が落ち着きそうな気がしたので、実は見たと答えた。ところが俺の予想に反して、「いや、エッチ!」と、強烈に言われた。
「馬鹿ね。こういう時は見えなかったって、言いはるものよ」
 苦笑いの事務員さんに、たしめられた。

「いや、ホントは見てないよ。だけど、見たと言わないと収まりがつかないような気がしたから。ホント、見てないって。埃が目に入って、閉じちゃったんだって。こんなことなら見れば良かった。損したよ、ホント」
 ありがとう、風さん。
 この後、真理子ちゃんとの会話がスムーズに出来るようになった。主に会社での出来事だったけれど、主任が嫌いだという点で一致したことが妙に嬉しかった。価値観というと大げさだけど、共通のものがあるということが嬉しかった。
 帰りの車中では、三人とも無口だった。疲れていた。しかし、その沈黙も苦痛ではなかった。ラジオから流れるメロディーに合わせて、二人がハモっている。心地よい疲れを感じつつ、俺は車のスピードを上げることなく走った。N橋が見えてきた。あの橋を渡ればお別れだ。このまま時間が止まってくれれば、と思わずにはいられない。

 ふと気付いた。
 いつも車の出足の遅さに苛立ち隣の車と競争していた俺が、今は全くと言っていいほど気にならない。ゆったりとした気分で走っている。勿論別れの時間を少しでも遅くしたいという気持ちはある。が、それだけではない。虚無感という言葉が、突如浮かんだ。孤独感と言い換えてもいい。そして、スピードという危険と隣り合わせの中に自分を置いていたことに気付いた。一瞬の気の緩みも許されない環境に、自分を追い込む。そうすることで、充足感を得ていたのかもしれない。しかし今の俺は、満たされた思いでいる。

 自営業で忙しい両親に、中々かまってもらえなかった幼少時代だった。不満のはけ口は、当然の如くに周りの友達に向かった。小学校時代、当時流行ったスカートめくりに興じ過ぎて、女子から総スカンを喰らった。ならばと今度は気の弱そうな男子を、いじめ始めた。手を出すようなものではなく、軽口を叩くだけのものだった。冗談ですむ程度のものと、俺は考えていた。相手の心に作られる傷の深さなど、まるで思いもしなかった。
 中学時代には、両親から貰うふんだんな額の小遣いでもって、取り巻き連を作っていった。けれども、親友と呼べる奴は、一人もいなかった。優しい声をかけて普通の付き合いをしようとしても、「何だよ、今日は。気持ち悪いぜ。あ、何かたくらんでるだろ。その手はくわないよ」と、皆逃げてしまう。

 女子に目を向けたりしたら、最悪だ。
「おいおい、女を相手にするのかよ。女に媚びを売ってどうするんだよ。俺たち、硬派でいくんだろうが」
 もう非難ごうごうとなり、軽蔑の眼差しを向けられる始末だ。そのくせ陰では付き合っていることを、俺だけが知らなかった。そして高校に入って、佐伯民子のひと言で、皆俺から離れていった。それだけじゃない。今度は俺が、無視といういじめを受ける羽目に。
 人間不信に陥ってしまった、高校の三年間だった。
 しかし今、やっとその呪縛から解放されそうな気がする。