どういう訳か、事務員とはスムーズに会話ができる。異性という意識がないせいだろうか?それとも、視線が合っていない為だろうか? 信号待ちに入ったところで、意を決して真理子ちゃんに声をかけてみた。
「真理子ちゃん、どこか行きたい所ある?」
「どうしたの、声が裏返ってるわよ」
 俺は咳払いをした後、声を整えてからぞんざいに答えた。
「お姉さまには聞いてません。そちらのお嬢様にお聞きしたのですが」
「アラ、失礼しました。どうせ私は、お刺身のつまでございます。お邪魔虫でございますわ。」

 軽く受け流してくれた。車中に笑い声が起こり、俺は事務員さんに感謝した。これからは感謝の意味も込めて、さん付けにしよう。
「真理子お嬢さま、そこでよろしいですか?」
 今度は無事に聞けた。
「はい。まだ行ったことがないですから」
と、相変わらずの蚊の鳴くような声で答えてくれた。身震いするような、可愛い声だ。くぅー!「OK!」と答えるや否や、町の外れにある、さほど高くはない山に作られたドライブウェイに向かって車を走らせた。
「そうそう、ドライブウェイに乗って。私、プラネタリウムに行ってみたいから。」

 山頂を造成し、プラネタリウムが作られている。このドライブウェイは、以前に二、三度走ったことはあるが、プラネタリウムには入ってはいない。山頂の駐車場で一休みしてすぐに下りるだけだった。市街地を何事もなく無事に過ぎ、ドライブウェイの入り口にたどり着いた。二人の訝る視線を背にしながら、俺は車を降りた。念のために冷却水の確認をしたかったのだ。今朝確認をしているので心配は無いのだが、クネクネとした山道を上るのだ、しかも三人で。恥をかくわけにはいかないのだ。

 冷却水の確認では、苦い想い出がある。免許を取って間もない頃だったが、水温が異常に上がりオーバーヒート寸前になったことがある。ラジエターの蓋を開けた時、熱湯というよりも火に近いものが俺の顔面を襲ってきた。その時もし、サングラスをしていなかったら……背筋が寒くなる。
 鼻のてっぺんと(短い)鼻の下とそして唇とを火傷した。勿論、サングラスは使い物にならなくなった。ファンベルトが半分切れかけになっていたのが原因だった。で今回は少し時間をおいてから、ファンベルトのたるみの確認と冷却水の量の確認をした。

「あまり飛ばさないでね、ヒヤヒヤしたわ。さっき、ダンプカーの大きなタイヤにもう少しで当たるところだったわよ。ホント、生きた心地がしなかったわ。ねえ、真理ちゃん」
 身振り手振りで後ろの真理子ちゃんに話しかけ、同意を求めていた。真理子ちゃんは、さ程に感じていないようだったが「はい? えぇ」と、短く答えていた。確かに、助手席では恐怖心が倍加されるだろう。そう言えば、途中から事務員さんのおしゃべりが止まっていた。
「ハイハイ、分かりました。どうせ、上り坂ではスピードは出ません。ご安心下さい」

 三人乗りの状態では、スピードを上げたくとも上がらない。ギアはセカンドのままで、“ウィン、ウィン”と苦しがりながら、坂を駆け上がっていく。
「右を見てみなよ」
 真理子ちゃんが「えぇっ、すごい! 高いわ。きれーい!」と、感嘆の声を上げる。俺は、心の中で”それ以上に君の方が素敵だよ“と呟いた。と、何かしらマシュマロのような柔らかい物を肩に感じた。
「ホントだ、素敵! 来て良かったわね」
 と、事務員さんが俺の肩越しに覗き込んでいた。どうしたものかと考えあぐねていたが、残念なことに、事務員さんはすぐに席に戻ってしまった。

“キ、キイィィ!”
 事務員さんに気を取られている間に、前の車が眼前に近づいていた。ホッとため息を吐く俺に、容赦ない罵声が浴びせられた。
「こらっ! お嫁に行けなくする気か! それとも、婿養子に来るか?」
「ごめんなさい…それだけは、ご勘弁を!」
「それだけは、って、どういう意味なの! はいはい、真理子ちゃん一途なのね」
 何とも、絶妙のお言葉。姉御肌の事務員さん、ほんとにありがとうございます。それにしても、打てば響く相方みたいだ。あれ? 何の花だろう、いい香りがする。前のめりになった真理子ちゃんの匂いか? いい匂いだ。

「あぁ、びっくりした」
「ごめんなさい、もう少しで頂上に着きまーす」
 駐車場は満杯の状態だったが、幸いにも一台の車が目の前で発進した。幸運に感謝しながら、「日頃の行いがいいからすぐに止められたよーん」と、軽口を叩いて止めた。
「何を言ってるの、二人の乙女のおかげよ」
 事務員さんの言葉の後に、真理子ちゃんも「そうそう」と、応じた。少し打ち解けてき たようで、嬉しくなった。

 プラネタリウムの中では、事務員さんが気を利かせてくれた。真理子ちゃんを中央にして、俺を隣り合わせにしてくれたのだ。気恥ずかしさが少し残ってはいたが意を決して話しかけた。
「俺の運転、恐かった?」
 真理子ちゃんは何も答えてくれなかった。
 薄暗い灯りの下で、じっと俯いている。しかし、少したってから口を開いてくれた。
「私、こんなことを、ご本人に向かって言っていいのかどうか分かりませんけど。でも、やっぱり言います。でも、気を悪くしないでくださいね。私、自分が不良のように思えるんです。無茶な運転の車に乗っていたり、暗いプラネタリウムに入ってみたり、で」

 俺は少なからずショックを受けた。不良? この俺が? …そういえば、ずいぶんと昔に思えるのだけれども、高校一年の時に、そう言われたような……。佐伯民子、忘れられない名前だ。この女のせいで、俺の高校生活は最低のものに変わった。ガリガリ姿の、孝夫。名字は、覚えちゃいない。何となく気になる奴で、友だちになりたくて、ちょっとからかっていた。
「よお、ヒョロ夫。お前、何喰ってくるんだよ。霞かなんか食べてんのか? 俺にも、それ、分けてくれよ」
 首に手を回して、親愛の情を示したつもりの俺だった。

「ヒョロ夫さんよ、ヒョロ夫さん。お供になりますから、あたしにも分けて下さいな」
 男どもの大半が、同じように囃し立てたぜ。女子だって、クスクス笑ってたよな。
ヒョロ夫だって、喜んでたんじゃないか。それをさ、佐伯民子が、バカヤローが……
「やめなさいよ、いい加減に。どうして意地悪するのよ。あなたって、最低の人ね。人の欠点を、そこまで突っつくことないでしょ! ほんと、最低の不良ね」
 そうしたら、女子の連中が一斉に言い出して。
「ふ、りょお! ふ、りょお!」

 冗談じゃないぜ、まったく。
「なんで俺が不良なんだよ」
 後にいた男子連を振り向いたら…。みんな、後ずさりなんかしやがって。俺たちは関係ねえよ、って顔しやがって。俺はヒョロ夫が好きなんだよ。けど、なんて声かけていいか分かんなかったから、それで…。俺の口の悪さは、みんな知ってる筈なのに。ヒョロ夫だけじゃなくて、他の奴にもふざけ半分で、馬鹿だとか死ぬしかねえなとか言ってるし……。