娘は、妻に手をあげたわたしが許せなかったようで、敵意にも似た感情を持ったようでございます。やりきれない日々が続きました。次第にお店での時間が長くなり、夕食も外で済ませるようになりました。離縁ということも頭をよぎりましたが、娘の通う私立高校のことを考えるとそれもできませんでした。
 いや、有り体に申し上げます。世間体を気にしてのことでございます。わたくしどものような和菓子屋は、家庭内のゴタゴタが外に漏れますと、たちまち売り上げに響くのでございます。
 考えてもみてください。
 ゴタゴタを抱えた職人の作る和菓子が美味しいはずがございません。実際、「ご主人がお店番? 以前より、味が落ちたんじゃないの」等と、嫌みを言われたこともございます。

 一年近く続きましたでしょうか、そのような地獄の毎日が。妻でございますか? 今は店の手伝いもしておりません。さぁ、一日をどのように過ごしていたのか。申し訳ありません。又、嘘をついてしまいました。
 実は、寝込んでおりますです。もうかれこれ、ふた月になりますでしょうか。いえいえ、わたしとのいさかい事が因ではありません。心労からではございますが、以前から、時々寝込むことがございました。唯、今回は少し状態が悪かったようではございます。
 当たり前のことでございましょう。
 この十六年の余、わたしをだまし続けてきたのでございますから。まあ正直なところ、所帯を持ってからの妻は一生懸命頑張ってくれました。身を粉にして、という表現がピッタリくるほどでございました。今のお店があるのも、妻の頑張りのおかげもございますでしょう。しかしだからといってわたしをだましていいとは言えますまい。

 そんなある日洗面所で顔を洗っておりますと、娘が「はい、タオル!」と、わたしに差し出してくれるのでございます。そして、「これからは私が、お母さんの代わりをやって上げる」と、申すのでございます。
 突然のことに、わたしは何が起きたのか理解できずにおりました。娘の差し出すタオルがわたしの手に乗せられるまで、茫然自失といった状態でございました。
 昨日までの、冷たい視線が嘘のようでございます。ひょっとして妻が本当のことを娘に話したのでは、と思ってしまいました。
「お父さんも、年とったわね。ここに白髪があるわ、抜いて上げるね」
 と、後ろから娘の声が。

 あぁ、その時でございます、まさしくその時なのでございます。腰をかがめていたわたしの背にのし掛かるようにしてのことでしたので、娘のやや固い乳房の感触が心地よく伝わってきたのでございます。
 まさにその時でございます。……どうぞわたくしめを鬼畜と罵ってくださいな。いくら血のつながらない親子とはいえ、十六年間娘として育ててきたのでございます。その娘に対し、一瞬間とはいえ欲情を覚えたのでございます。恥ずかしながら、わたしの逸物が反応していました。恐ろしいことでございます。畜生にも劣ります、はい。
 しかし娘にしてみれば、何ということもなかったのでしょう。機嫌良く、学校に出かけました。♪ふんふん♪と鼻を鳴らし、「行って来ま~す!」と、妻ゆずりの美しい声を残して行きます。

 その日のわたしときたら、まるでだめでございました。どうにも落ち着きません。菓子作りでも、失敗の連続でございました。折角練り上げた生地に、あろうことか更に水を足してしまいまして。
 餡にしましても、ほど良い甘さに仕上げていたものを…。お恥ずかしいかぎりでございます。砂糖を足してしまい、まったくのお子様向けになってしまいました。
 形を整える折も、つい娘のことを思い浮かべてしまいます。うさぎを作っているつもりが、耳が無いのでございます。耳が無くては、うさぎとは申せません。桃の形を作ろうとして、栗になってしまったり。まったくの、上の空でございました。

 そうそうお話しておりませんでした、朝食のことでございます。妻が寝込んでからは、止むなく麺類にしております。うどんやらそばで済ませます。いえいえ自炊が自慢なのではございません。
 そのように先回りされましても。実は、朝食をニ度頂いているのでございます。いえ、お腹が空くからというわけではありません。仕込みに一段落を付けての、ひと休みとしており……。
 申し訳ありません、有り体に申し上げます。
 娘でございます、娘が、娘が……申し訳ございません。つい込み上げてきまして。あの、あの朝のひと時が、私の人生の華でございました。なので、思い出す度に落涙してしまうのでございます。

 さ、気を取り直して、お話を続けましょう。二度の朝食と申しますのは、娘からの提案でございます。
「朝、一緒に食べてよ。お母さん寝込んでるから、一人ぽっちなの。ちっとも美味しくないの、一人だと。あたしが作ってあげるから、お父さんも食べてよ。お母さんも、喜んでくれるから」
 妻が喜ぶ? どういうことだ、それは。
 あぁ、そうかそうか。娘一人の食事が可哀相だから、仕方なくわたしにお相伴させようということか。自分が起きたら、またわたしをのけ者にする腹でございましょう。ふん、いいさ。娘がわたしと一緒が良いと言ってくれるさ。
「お父さんと食べるから」
 そう言われた時の妻の顔が見たいものですよ。

 ある夜のことでございます。
 久しぶりに一杯やった夜のことでございました。いえいえ、普段は晩酌などやりませんですよ。えぇえぇ、ほんとですとも。一人で手酌の酒など美味しいはずがありませんです。以前はでございますな、小夜子がお酌するお酒をですな、一本だけ一合だけ…。
 それはもう、天子様ですらお飲みになられたことのないお酒をですな、頂いたものでございますよ。美味しいお酒をですな、はい。

 その夜は、町内の寄り合いがございまして。なに、話と言うのはなんでもございません。新しくお入りになられた坂本さまの歓迎会でございます。なんでも、税理士さまだそうで。
 わたくしどもお店をやらせて頂いている者には、大変大事なお方だとか。ですので、その後の小料理屋までお付き合いを致すことになりましたのです。
 わたくし元来、お酒はあまり嗜まない方でございまして。下戸なのでございますよ。お銚子半分も頂きますと、ごろりと横になってしまいますです。お猪口三杯で、顔が真っ赤になりますです、はい。

 は? さっき一合だと聞いたと? そ、それは……それは小夜子のお酌だからでございますよ。自宅だからこそ安心して飲むのでございますよ。
 そう言えばいつでしたかな、一度だけ不覚を取ってしまったことがありました。その折は珍しくも、ご婦人方も混ざっての小料理屋でございました。えぇっと、男が三人にご婦人がお三人でしたか…。な、なにを考えておられるので! 不義など、とんでもない! わたくしは、妻とは違いますぞ! あくまでわたくしは、妻の小夜子一筋でございますぞ。けしからん、まったくけしからんことです。そのような下種な勘ぐりは、まったく許せんことです。
 
 顔を真っ赤にして、憤りの言葉を発せられ続けます。酒のせいなのか、お怒りのせいなのか、あれ程に赤くなった顔色は見たことがありません。
 ご老人の前には、お銚子が三本並んでいます。話の辻褄が合わぬのは、ま、ご愛嬌でしょうけれども。
「いや、ご老人。失礼、失礼。謝ります、謝りますので、お話を是非お聞かせ下さい」
 兎にも角にも、冷やかしの言葉をかけられたご仁の謝罪の言葉があって、ようやく落ち着かれました。

 よろしい。そうまで仰るなら結構。とに角わたくしですな、小夜子お嬢さまを妻に迎えてからはひと筋なのですからな。
 えっと、何のお話でしたかな? そうそう、少しお酒をたしなんだ夜のことでした。
 娘の妙子が、わたしの部屋にやってまいりましたのです。
「お父さん、肩を揉んであげるね」
「急にどうした?」と問いただしても、「いいから、いいから」と、笑うだけでございます。
 娘は、わたしの腰にまたがり、足のふくらはぎそして足首をもんでくれました。親孝行のつもりかもしれません。しかしわたしにとっては……娘と分かってはいても、暖かく柔らかいお尻の感触が悩ましいのでございます。
 娘は、流行りの薄いパジャマ姿でございました。お風呂上がりのせいもあるのでございましょうか、少し汗ばんでいたのでしょう、湿り気を感じました。

 若い女の体臭とでも申しましょうか…。ぷーん、と良い匂いでございます、ぐふふ……
 申し訳ございません、娘でございます、分かっております。分かってはいるのでございますが、ムクムクと、又しても。
「おお、そうかい。ありがとうよ。ほんとに妙子は良い子だねえ。今夜の寄り合いでね、妙子は可愛いお嬢さんだと、皆さんからお褒めの言葉を頂いたよ。お父さんもね、ほんとに鼻が高いよ」
「ほんと? 良かった。そうそう、お父さんに貰ったお小遣いでね、ミニスカートを買ったの。お母さんにはまだ見せてないの。お父さん、妙子の味方をしてね」
「あぁ、良いとも。妙子にはどんな洋服も似合うだろうからね」
 そう申しはしましたが、実のところミニスカートなるものが、あのように丈の短いスカートだとはまるで知りませなんだ。知っておりましたら、知っておりましたら…。他の男どもの好奇な視線にさらされることを知っておりましたら…。

 わたくしはこの一年の間、女性との接触がまったくありませんでした。いえいえ、性欲がなかったわけではありません。むしろ若い頃よりも、ある意味では高ぶることが多くなっておりました。一人、恥ずかしい話ではございますが、自慰にふけったことも一度や二度のことではございません。
 いいえ、実はこれからなのでございます。そろそろお気付きになられた方もおいでになるかもしれませんな。ま、しかし、他の方たちには内緒にしてくださいよ。謎のひも解きの面白さが失われてしまいますからな。

 その後も、何やかやと娘は私の世話を焼いてくれますです、はい。妻は目を細めて、いえ冷ややかな目でそんなわたしたちを見ております。
 その頃には床上げも済んでおります。そして朝食の用意もしておりました。
 は? ぐふふ、いえいえご心配なく。娘は私と一緒を選んでおります。妻はといえば、そそくさと部屋に戻っていきます。小憎たらしいことには、娘にはにっこりと微笑みかけながらも、私とは目を合わせようとしませんのですぞ。

 ある夜のことでございました。
 娘がいつものようにわたしの体を気遣っている時、妻が部屋に入るや否や、キッとした険しい目で娘を睨み付け、悪態をついて娘を追い出しましたのでございます。
 何と言いましたか、うーん。はっきりとは覚えておりませんのですが、「いい加減にしなさい!」とか何とか、きつい言葉で申します。
 えっ? そ、それは…。ひょっとしたら、「その辺にしときなさいね。明日、早いんでしょ?」だったかもしれません。

 しかし、しかしです。わたしが見た妻の顔は、それはもう、恐ろしい形相でございました。
 その昔、まだ赤線というものがありました頃のことでございます。亭主を寝取られたと、娼婦のもとに出刃包丁を手に乗り込んできた半狂乱の女が居たと聞き及んだことがございます。
 その女の形相が、妻を見た時、はっきりと思い浮かべられましたのでございます。もっとも、無理もございません。まだ三十路も半ばの女盛りでございます。
 夫婦のちぎりを断って、一年近くの月日がたっております。妻とて女に違いはないのでございますからな。わたくしが悶々とした夜をすごすのでございます、妻とて然りでございましょうて。
 でまあ、娘の為によりを戻そうとしてはみるのですが、やはり口論となってしまいます。