その日はいつになく穏やかな日和で、この法事の席に集まられた皆さんの表情も穏やかなものでした。ま、喪主の松夫さんだけは硬い表情をされていましたが。ご出席の皆さんから声を掛けられるのですが、軽く頷かれるだけでございました。ご心配なことでもあるのかと、私と大叔父の善三さんとで話をしていたのです。
「お疲れのご様子ですね、松夫さんは」
「なぁに、緊張しているんでしょう。松夫の嫁が居ないものだから。まったく情けないです、まったく。何もかも嫁任せにしていましたからな」
「はあ、そういうことですか。で、いつ頃の退院となるのですか?」
「まぁ一週間もすれば、と聞いておるのですがね」

 その時でございました。突然に見知らぬご老人が、座敷に上がってこられたのです。
「ごめん」
 言うが早いか、ずかずかと上座に向かわれました。
「どちら様でございましたですか?」との、松夫さんの問いかけに「うるさいわい! あんたこそ、誰じゃ!」と、言い返されます。
「いや、私は喪主の……」
「えゝい、どけどけ。どかんかい!」
 と、足蹴にでもする勢いでした。そして居並ぶ出席者に、えびす顔で対されます。
「いや、どうもどうも。お騒がせ致しましたな。これはこれは、多数の方にお見えいただいて、ありがとうございますですな」
 喪主の松夫さんはといえば、憮然とした表情ながらも隅のほうに座り込まれ、いえいえ、へたり込まれてしまいました。

「♪梅は咲いたか~、桜はまだかいな~♪ あ、ちょいなちょいなと。ハハハ、のっけから失礼しましたな。わたくしは、名前を梅村正夫と申します。梅ですぞ、桜ではございませんのでな」
「あはは、こりゃいい。面白い自己紹介だ。あはは、あははは……」
 善三さんの笑いが、部屋中に響きます。あちこちからも笑いが沸き起こりました。それを見られて、至極ご満悦の表情をそのご老人が見せられます。
 よくよく観察しますと、少しお顔が上気しているように見えました。最前列の方のお話では、少しご酒(しゆ)の匂いがしたとか。一杯ひっかけられての、ほろ酔い気分のようでございました。
 笑い声が収まると同時に、座がざわつき始めました。それはそうです、坂田家の七回忌法要で集まった親戚一同でございますから。

 このご老人、誰一人として存知おりません。しかしご老人はまるで意に介されずに、ひと通り見渡されます。そしてその後、かっと目を見開かれて、怒鳴るようにおっしゃるのです。
「本日は、わたくしめの愛娘、小夜子の法事でございます」
 キョロキョロと辺りを見回し、坂田松太郎七回忌法要の文字を見つけられると、満足そうに頷かれるのです。「七回忌、七回忌ですぞ。かくも賑々しくお集まりいただいて、わたくし感極まる思いでございます」
そこまでおっしゃられると、目頭をおさえられ声をひそめられました。

「ご老人! 梅村さんとか、言われましたか? ここは、坂田松太郎の法要の場ですが。何か思い違いをなされているのではありませんかな?」
 大叔父の善三さんが、声を上げられました。皆一斉に、善三さんに視線を注ぎます。そして、うんうんと頷かれます。これでご老人が勘違いに気付かれることだろうと、前を向きます。
 ところが「だまらっしゃい!」と、一喝でございます。
「わしの話を聞けぬと言う不埒な輩は、即刻この場を立ち去りませい! わしと妙子との、それは哀しい哀しい話を聞けぬのならば、出て行け! この罰当たりめが」

 一旦口を閉じられて、じろりと一同を見回します。眼光鋭く、睨み据えられます。さすがの善三さんも、その迫力に黙られてしまいました。
「ほれ、注いでくれ。気が利かぬ男じゃの」
 やおら膳の上から杯を手にされまして、松夫さんに向かって差し出します。戸惑われつつも、何かあってはと思われたのでしょう、松夫さんが酒を注がれました。
「うん。これは良い酒ですな。結構、結構。酒は、惜しんではいけません。酒は、口を滑らかにしますでな。実はですな、わたくしですな。眠れんのですよ、いや眠りたくないのです。どうしてか? そう、それが大問題ですじゃ」
 勿体ぶった話しぶりで、中々に本題に入られません。皆、苛立ってまいりました。話があるならばその話を早く済ませて出て行ってくれと、そう考えているのです。しかしそれを口にすることはできません。
 とに角、ご老人が早く話し始めるのをひたすらに待っているのでございます。そして、三杯目の杯を空にされたところで、ようやく口を開かれたのです。

「それは、夢なのです。皆さん、夢は見られますかな? 見られますわな、誰しも。しかし、しかし……」
 突然急に、大粒の涙をこぼされ始められました。そしてざわつく中、すくっとご老人が立ち上がります。
「わたくしのような者の為に泣いてくださる必要はない。いや、話を聞き終えてから、思う存分に泣いて頂きたい。夢です、夢を見るのです」

 そしてご老人がおっしゃられる、おぞましい夢の話を語り始められたのです。
 わたくしは、ここに告白いたします。
 父と娘の間の愛の哀しさを、どうしても告白せずにはいられないのです。わたくしの話に、どなたさまもおぞましさを感じられることでございましょう。が、わたくしにしてみれば、恐ろしいことながらも快楽でございました。
 いや、無上の歓びと申しましても過言ではありますまい。この二十有余年の間というもの告白の機会を伺いつつ、今日まで口をつぐんできたのでございます、はい。 しかし娘の命日である今日のこの日に、お集まりの皆さま方には是非ともお聞き頂きたいと思います。

 夢、それは地獄の夢なのでございます。
 あなた方は、閻魔大王の存在を信じておられますでしょうか? いやいや、地獄そのものの存在を信じていらっしゃる方は、少ないことでございましょう。
 かくいうわたくしと致しましても信じたくはないのでございます。このような恐ろしいものがあってなるものかと、思うのでございます。
 どうもお待たせいたしました。
 前置きはこの位に致しまして、その夢についてお話しましょう。と申しましても何しろ夢のことでございます、突飛な事柄もございます。荒唐無稽と思われるかもしれません。
 又、わたくしの感じた恐怖感を十分にお伝えできないかもしれません。しかしどうぞ、お汲み取りいただきたいのでございます。

 これは夢でございます。
 針のような鼻毛を抜きながら、しゃれこうべの積み上げられた椅子に、閻魔大王が腰をかけているのでございます。そしてその横には、勿論のこと赤鬼・青鬼とが立っております。
 何しろ薄暗い洞窟の中のことでございます。ろうそくが一本だけなのでございます。が、そのろうそくにしましても目が慣れてくるに従いまして、いかにも赤いのでございます。そして、燭台の色が黒みがかった紺色に見えてくるのでございます。
 更に目をこらしますと、その燭台があろうことか蛇になっているのでございます。そして、炎が、真っ赤な炎だと思っていたものが、実は蛇の舌だったのでございます。

 わたしはたまらず、天井に目を移しました。
 と、コウモリとも猿とも似つかぬ獣が、口を真っ赤に濡らし、又異妖な純白色の牙を覗かせているのでございます。
 そしてその獣の目といえば、爛々と輝き今にも飛びかかってきそうにも思えるのでございます。背には赤黒い羽根をたたみ、同じく赤黒い尾を、岩の裂け目に突っ込んでいるのでございます。
 一匹ではございません。数知れなくでございます。薄暗い筈の洞窟で、それ程にくわしく見えるはずが無いと、おっしゃられますか? しかしそう申されましても、確かに見えたので、いえ感じたのでございます。
 足下に目をやりますと、何やら蠢いております。
 トカゲのようなそれでいてゴキブリのような、そんな気味の悪いものがわたしの足指の間やら、手指の間やらをはいずり回っております。わたしの体を這っているのでございます。そしてそして、ナメクジのようなウジ虫のような虫が……。

 うわあぁぁ! お腹といわず胸といわず、股間もでございました。お待ちください、それだけではないのです。実は、口の中からも何かが出てくるのでございます。湧き出てくるのでございます。
 あ、あろうことか……あ、ありえませんぞ。
 わたしの顔を持った、野糞にたかる銀蝿が、口と言わず鼻と言わず耳からも飛び出すのでございます。
 あぁ、申し訳ありません。もうこれ以上のことは、わたしには申し上げられません……失礼致しました。ここでやめては、何のことかお分かりになりませんな。ほれそこのお方、いかにもご不満なご表情をされて。
 他人の不幸は、蜜の味ですかな? それでは気を取り直して、お話を続けさせていただきます。まだまだ夢は続くのでございます。

 真っ赤な血の川を渡っているはずのわたしの小舟が、突然に現れる裂け目の中に真っ逆さまに落ちていきます。岩を伝って逃げようとしますとその岩が急に砕け、わたしの手が挟まれてしまいます。
 今までに味わったことのない痛みに、危うく失神するところでございました。万力に挟まれた手の骨が、ミシミシと音を立てております。五倍十倍の太さにはれ上がった指から、今にも血が飛び散りそうでございます。
 と、いつ持っていたのか、もう片方の手に斧があるのでございます。そして恐ろしいことにわたしの意思に反し、その斧で岩に挟まれた手を切っていたのでございます。どっとあふれ出るわたしの血に、わたし自身が押し流されます。

 必死に、その血の海を泳いでおります。ところが、すぐ近くに見える岸辺が、泳げば泳ぐほど遠くなっていくのでございます。もう気も狂わんばかりでございます。
 あぁもう、そのまま気の狂った方が良かったと思えるほどでございます。お分かりいただけますでしょうか? この恐ろしさというものが。
 兎にも角にも、こういった夢を毎晩見るのでございます。昨夜は眠るまいと致したのでございますが、いつの間にか徒労に終わりウトウトとしております。
 それどころか、それら全てが夢のようにも思えるのでございます。もしかして、今この時も、夢? なのかもしれません。

 身振り手振りを交えての熱演でした。熱演などとは、ご老人に失礼でした。しかしその話に皆さんが引き込まれていたのは確かでございました。ご老人が一息吐かれる度に、皆さんも一息吐くといった具合でした。
 そしてお話が終わると同時に、ご老人と同じようにがっくりと肩を落とされたものでございます。まあ何にしろ、これで終わった、ご老人が退席されるものと、皆一様にほっとした表情を見せました。
 が実は、これからだったのです。これからご老人の、哀しい物語りが始まっていくのでした。
 ふと気が付きますと、ご老人がさめざめと泣いておられました。最前列の貴子さんが「どうしました、大丈夫ですか? どなたかお家の方に連絡を入れましょうか?」と、声を掛けられました。
 と、かっと目を見開いて、怒ること怒ること。
「なに! 誰を呼ぶと言うんじゃ! 妙子か、それとも小夜子を呼んでくれるとでも言うのか? おうよ、面白い。呼べるものなら呼んでみよ。おゝ、面白い。呼んでみよ!」

 貴子さんも、唖然とされています。どんな気に障るようなことを言ったのかと、思われているようです。
「いえそんな…あたしは、ただ…。ねえ、あんた。何とか言ってよ」
 お隣に座られているご主人に助けを求められました。
「まあ、いいわ。皆さま、お騒がせして申し訳ありませなんだな。では、わたしの話を聞いて頂きましようかな。わたくしめと愛娘妙子との、それはそれは哀しいお話を」
 穏やかな表情に戻られたご老人、静かな口調でございました。が、皆さまはうんざりと言った表情でございます。
「たえこさん? さよこと仰ってなかったかの?」
 そう言えば、さよこと仰られました。しかしここで又声をかければ、それこそ何を言いだされるか分かりません。やむなくご老人の話を聞くことになりました。