「心、開けてみるか」と封印を解くかの如く鬼瓦の言葉を高円寺進は鍵穴を覗き込みながら思い出す。鬼瓦は彼の父親であり祖々父から続く鍵師の三代目である。三度の飯より女好きであり鍵好きである。仕事は完璧にこなすが、家庭を顧みなかったせいで離婚を余儀なくされた。それでも男手一つで彼を育て上げたことは驚嘆に値する。もちろん教育といえば、女についてと鍵師の心得だけだが。
 カチリ。
 鍵師の必須道具である特注ピッキング二本を使い高円寺は鍵を開けた。ドアノブに手を掛ける。静まり返った学園。神聖なる匂いが高円寺の鼻孔を微かにくすぐり、額から汗が滴り落ちた。折しも、七月に入り、夏の到来を告げている。目線を上げれば、女子更衣室、と親切ご丁寧にゴシック体で印字されている。高円寺の最大の難点は、積極性がないことだ。女にモテなくもないのだが、どうも言い寄られることに抵抗感がある。贅沢だろうか?贅沢なのだろう。人を好きになる、ということはどこか積極性が求められ、かつ獲得する、という名目があってこそ成就するのではないか、それが彼の哲学であり理念である。それが昇華してしまい鍵師としての能力を誇示するという大義名分を得て、中学生という青春の一ページに刻むべき大事な時期に、女子更衣室に侵入すること事態が彼らしい。遺伝か歴史かDNA配列の突然変異か、あらゆる言い訳を、今から高円寺進は考えている。
 高円寺はドアノブを捻り、女子更衣室の中に入った。わずか数時間前までいたであろう女の残り香が空間に漂っている。入り口の両サイドにはグリーンの縦長のロッカールームが綺麗に並べられ、頭上には小型の扇風機が行き場を失った蛾のように旋回していた。高円寺は誰もいないにも関わらずつま先立ちで歩を進めた。床は乾いていなく時折水たまりの甲高い音を感じた。そして動きを止め、周囲を確認し、目当ての物が収納されずに置かれているのを確認した。
 水着。
 スクール水着。普段なら自宅に持ち帰る女達も、数人が忘れていくのを高円寺は知っている。それをどうするのかといえば、名前を確認し、可愛い子であれば匂いを嗅ぎ、想像に耽る。ああ、いつからそうなってしまったのか。この特異な性癖は鬼瓦とは対照的すぎる。
 高円寺はスクール水着を手に取った。水着は水分を含み、重かった。水着には油性ペンらしきもので四ッ谷アカリと名前が書かれていた。彼はよく知っている人物だけに顔をしかめた。中学三年間で風紀委員を務め、校内の風紀を乱すものには柔らかい口調で制裁を下す。その甲斐あって高円寺の中学では不良がはびこることなく至って平和である。今時の中学生にはない真面目さと品の良さを四ッ谷アカリは備えているため影ながらファンが多いと聞く。
「まさか四ッ谷が水着を忘れるとはね」
 高円寺は手に持っていた水着を元の場所に置いた。四ッ谷とは幼馴染であるため欲情が湧くことはない。
 高円寺は女子更衣室を進み、他にも水着がないか、と辺りを見回しているときだった。背後からロッカーの開く音がした。思わず高円寺は足を止める。