「副社長!さっさと書類の確認をして下さいっ!あと五分で会議です!」
「うるせぇな…怒鳴るな、東雲」
「怒鳴られたくなかったら、言われる前にやって頂けませんか!?」
「何でお前みたいのが第一秘書なんだか…新人のマリちゃんなんか超癒しなのに」
「…ウダウダ言ってる時間があったら…さっさと出てけっ!」

私は副社長を副社長室から蹴り出した。私は及川商事副社長、及川輝一の第一秘書。元は派遣会社から秘書として派遣されていて、引き抜かれた形で正社員として勤めてる。
及川商事の社長は副社長の兄の光一さん。光一さんは私の大学時代の先輩で、引き抜きも光一さんから頼まれて引き受けたようなもの。
まさかこんな手の掛かる副社長の第一秘書にされるなんて思わなかったけど。タメだって事もあるけど、副社長は話しやすいんだかついついさっきみたいに怒鳴ったり、手足が出たりする。
今日も怒鳴って蹴り出した。

「好きでこんなキャラなんじゃないっつの」








「また初音を怒らせてたね、輝一」

呆れた兄貴は俺と並んで歩きながら苦笑いしてやがる。

「違ぇよ、兄貴。アイツが勝手に怒鳴るんだっ」
「初音は短気じゃないよ。いらないなら僕の第一秘書にもらえないかな?元はそのつもりで引き抜いたんだし」
「俺の秘書はどうなるんだよ」
「新人秘書のマリちゃんを付けてあげるよ。輝一のお望み通りね」
「マリちゃんは癒しだけ担当。秘書向きじゃないな」

兄貴は俺の第一秘書の東雲をいたく気に入ってる…っつか、大学時代の先輩後輩だったらしく仲もいい。兄貴と喋る時には急に笑顔になるし、嬉しそうだ。
俺にだけはツンケンして可愛い笑顔の一つも見せた事ねぇくせにっ。笑ったって愛想笑いがいいとこで。
【クールビューティー】とか言われてるらしいけど、もうとんでもねぇよ!ビューティーの方はそらちょっと…てかかなりあっけど、クールはあり得ねぇっ!カッカしてばっかじゃねぇか!

「まぁいずれ初音は返してもらうから、それまでにマリちゃんを育てるように言っておくよ」

東雲は少し遅れて会議室に入ってきた。俺の席の後ろの壁際に立って、手帳を広げる。
年寄り連中に秘書に欲しいと言わせる原因は容貌もさる事ながら、やはり能力がある事だろう。話術にも長けて、機転が利く。取引先からもよく美人な秘書で羨ましいとか俺と並んで歩いてくるとドラマの撮影みたいだとか、言われたりすっから優越感はあるけどな。


「創作フレンチの個室が取れました。場所はこちらに」

東雲は俺が女とのデートに使うレストランやホテルの予約まで飄々とこなす。何も言わなくても驚くほど洒落たところやいい雰囲気の店を見つけてくる。
地図で場所を確認して、副社長室を出た。
けど兄貴の言葉ばっかりが頭を巡って、その日はホテルまで行かずに食事だけして帰った。
現状、東雲以上に俺の秘書を務められそうな奴はいない。第二秘書はいても秘書として使った事はない。
兄貴は俺と違って自分のスケジュール管理は出来るから、秘書はお飾り同然だ。
自宅は兄貴と一緒。大抵、俺が帰るのは日付が変わってからだが、今日はいつもより早い。兄貴も起きていた。それに客…ピンヒールが玄関にあった。

「おかえり、輝一」
「では社長。そろそろ帰らせて頂きます」

東雲が来ていた。

「じゃあ送ろうか」
「いえ、タクシーを使いますから」

俺には見向きもせずに兄貴にだけ頭を下げて出て行った。

「輝一、明日から初音を借りるからね」
「は!?」
「明日から証券セミナーがあるだろう?お飾りじゃ困るからね。初音にはもう頼んであるから」
「証券セミナーって一泊のやつか?」
「軽井沢でね。初音にもいい勉強になるし」

兄貴と東雲が二人きりで軽井沢……?

「…俺の秘書はどうなんだよ」
「初音から第二の石田さんに頼んでくれるから心配ない。頼むよ、輝一」



翌朝、兄貴を迎えに来た東雲はキャリーバックに淡いブルーのスーツ。いつも縛ってる髪も今日は下ろしてある。俺の時とは違う……。

しかもいつもは黒かグレーのスーツだろ。

「おはようございます、社長」
「よく似合ってるね、そのスーツ」
「社長が見立てて下さったんですよ?」
「じゃあ行こうか」
「はい」

俺にはあんな風に笑わないくせに…。



一日散々だった。第二秘書の石田は打ち合わせ時間は間違えるし、相手の名前も覚えられない。緊張からか噛みまくる。淹れるコーヒーは薄いし温い。何度も東雲に確認の電話をする……。
セミナー中にそうそう電話に出られるわけがねぇだろ!


『有意義だったよ』
「あ~そうかよ」

定時すぎ、兄貴から電話があった。第一声がそれで、イラッしたのは当然だ。

『散々だったみたいだね。初音が何度も席を立たされていたから、大変だったんじゃないかと思ってたよ』
「あれでちゃんと引継してんのかよ」
『引継も何も情報は常に共有してるはずだから』
「あんなじゃそうは見えねぇって!」

第二秘書なんて使いモンにならねぇ。一体何なんだ、あれでちゃんとやってけんのかよ。

『明後日からはまた戻るから、頑張れよ』
「明後日ぇ!?」
『明日は午前中だけセミナーの締めがあって、午後からはゆっくり帰るから』

午後からゆっくりとかあり得ねぇって!

「ゆっくりしてる場合かよ!」
『…光一さん』

電話の向こうで女の…東雲の声…【光一さん】?兄貴を仕事以外ではそんな風に呼んでんのか…?

『じゃあ輝一、また連絡するよ』

…同じ部屋に泊まるような仲って事か?いつからだ?兄貴が引き抜いた時?それより前?
【光一さん】
何だよ……何で俺、こんな凹んでんだ……。
東雲は秘書だ…それ以上でもそれ以下でもねぇはずなのに…。まるで失恋でもしたみてぇじゃねぇか……。

とんでもねぇ事に気付いちまったような気がして、それから何度も忘れた振りをしてみたが、兄貴と東雲が寄り添って微笑み合う姿がどうにも灼き付いて離れねぇ…。
何とかしようと携帯のアドレスから適当な女を呼び出し、そいつに会うべく副社長室を出た。
車を走らせ、待ち合わせ場所にいた女を見て、一瞬間違えたかのような錯覚に陥った……そこにいる女が東雲じゃない事に――。