* *

宣言どおり、口説き落とされた。


でも、悪い気はしない。

むしろ胸の詰まりがほぐれたように軽い。


過去に囚われすぎて、たった一歩を踏み出すことができなくなっていたんだ。

それは実はすごく簡単で、踏み出してしまえばあとは走っていけそうな気さえしてくる。

…手を引いていてくれるなら。

ひとりの力だけで進むには、まだ方向が見えなくて心細すぎる。


「……ねえ伊純兄さん。全然見えてるから。立ち聞きするなよ」


小田桐君の熱い手が離れていく。

私の背後に向かって呼び掛けている。


「たりめーだ、隠れてねぇもん。んなことする必要ねえだろが、ここは俺の仕事場だ」

ものすごく凄みのきいた低い声。
というか怖い。

小田桐君の甘い声を聞いたあとだとなおさら。

くりんと首を回してみると、私たちが入ってきた階段の横にラックがあって、

荷物いっぱいのその後ろに見えるまた別の入り口に、もたれ掛かるようにして男の人が立っていた。

「だって大事な話だったんだ、そんな堂々と聞かれるのもね」

この人が"伊純兄さん"か…。

叔父さんだって言っていたけど、嘘みたいに雰囲気が似ていない。

真っ黒な髪は天パなのかうねっていて男性にしては長めだけど、鼻が高くて輪郭がシャープなので俳優みたいによく似合っている。

黒いVネックに細身のスキニー。

首もとにゴールドのペンダントがぶら下がっている。

なんだかこう……
何もしなくてもキマって見える人だ。

タバコでも吸いそうな気だるげな表情と佇まい、と思っていると欠伸した。

単に眠いだけか?

「しらね。お前こそ勝手に女連れ込んでんなよ」

「言い方……」

伊純さんの視線が刺さるので、

あの、と向き直る。