ケータイ小説 野いちご

シスター・オルランドへの手紙

3 人妻とドン・ファン

――アン、熊を見たことがおありで?

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テディがテラスに姿を現すやいなや、ダチェット伯爵夫妻が椅子から腰を上げた。

「テディ! どこをうろついていたんだ?!」
「リル! まあどうしたの?!」

それぞれに言ったことは、こうではあったが、声が発されたのはまったく同時だった。

軽やかに薄緑のドレスの裾を翻し、アンがテディに抱きかかえられたリルの元へと駆け寄る。

「リリアン、あなた。血が出ているじゃないの」
伯爵夫人としての冷静さを失わない、しかしながら慈愛に満ちた優しい聖母の声でこう言うと、アンはリルの頬にそっと触れた。

テディがリルを長椅子の上へと座らせる。
義姉の首に腕を伸ばして抱きつきながら、リルは堪えきれなくなった涙をこぼし始めた。

「可哀想に、一体どうしたの?」
アンはリルの髪に指を滑らせ、泣きじゃくる義妹を慰める。
そして、所在なげに立ち尽くす熊のような大男を見上げて、ぴしゃりと言った。
「テディ、これは何事かしら?」

「レディ・リリアンは茨の上に横たわっていたんだよ……昼寝でなければ、修行かな?」
テディが、肩をすくめながらこう応じた。

慌てて義姉のドレスの袖を掴むと、リルが激しく首を横に振る。

「ともかく、アン。リルを恐がらせてしまったことには違いないようだ。悪かったよ」

テディのこの言葉に、アンがすぐさま反応する。
「たしかに、怖いに違いないわ。こう言ってはなんですけど? 貴方のその顔ときたら……リルが怯えるのも当然だわ」

「……顔?」
「ええ、その髭だらけのお顔。一体、どうしてそんなにする必要があって?」

アンの皮肉めいた物言いに、テディはただ小首を傾げてみせた。
髭に隠れて見えないが、どうやらその口元に浮かべているのは小さな笑みらしい。

「まるで熊のよう!」
アンがたたみかける。

熊? と繰り返し、テディがごくなつっこく応じる。
「アン、熊を見たことがおありで?」
「ええ、勿論」

即答し、リルのドレスの裾を整えてやってから、アンはすっと立ち上がった。

「子供たちを連れて動物園にも良く行きましたし、図鑑の挿絵もしょっちゅう見ましたから」

ダチェット伯爵と結婚する前、生活のため、ほうぼうの良家の子女の家庭教師をしていたことを、アン・マリアは隠そうとはしなかった。
ダチェット伯爵と、あまりにも釣り合いがとれない身分であることが、人々の口の端に……それはおもに、あわよくばとダチェット伯の妻の座を狙っていたご婦人たちの口の端にだが……容赦無くのぼっていた。
だが、それでもアンは毅然とした態度を崩すことはなかった。


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