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シスター・オルランドへの手紙

5 うち明け話

――おおかた隠しておきたい傷でも、顔にあるんだろう?

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10

――おとうさま。どうぶつ園では、ゾウのおはなとあく手がしたいわ。

わたしはひづめの音と馬車の車輪の回る音に負けないように、せいいっぱい大きな声を出す。

――さてね、ちいさなリル。どうだろうか、よい子にしていたらできるかもしれないね。

――わたしよい子よ、おとうさま。

そうして、おとうさまが外国へいっておるすの間に、自分がどんなによい子だったか、わたしはいっしょけんめいに説明する。

ナニーにひまし油を飲まされても、ちゃんとがまんした。
お耳のうしろも毎日きれいにした。
とってもほしかったけど、お庭のばらの花も摘まなかったの。おとうさまのだいじなばらだもの。

ろうかをはしったりしなかったし、おばあさまがお休みになっているときは、うんと静かにしていたの。

おとうさまは、とても楽しそうに笑うと、わたしをひょいとお膝の上に載せて、そんなによい子のリリアンならば、きっと象のお鼻と握手ができるだろうね、と言った。

レモネードもかってくださる? と、わたしはおとうさまにお願いしてみる。
まあまあ、困った甘えん坊さんねと、おかあさまが笑う。

――よしよし、なんでもかってやろう。

おとうさまはそういって、わたしにほおずりした。
すずしい石けんのにおいのおとうさまのほっぺたは、すこしちくちくする。
おとうさまのことは大すきだけど、ちくちくはあんまりすてきじゃない。
ちょっとがまんをしようと、わたしは、ぎゅと目をとじた。

でも、おもってたのとちがった。
おとうさまのほおは、ちっともちくちくじゃない。なんだかやわらかくってすべすべしたものが、いっぱい生えてる。

なんだか、へん。いつもとちがうわ?
そうおもって、わたしは目をあけようとしたのだ。

でもなにもみえない。
なにもきこえない。

しってる。
わたしは、これをしってるの。

だめ。目をあけてはだめ。みてはだめ。
わたしはわたしを、ひっしにとめる。

なのに、わたしは言うことをきいてくれない。でも、わかってた。そうなると。

めのまえが、あかい。
あかくてくろい。にがい匂いがする。
わたしはだきしめられてる。おとうさまの腕の中。

すぐそばに、おかあさまのおかおがある。
おかあさまはまばたきもしないで、目をぱっちりとあけている。おにんぎょうのよう。きれいな青いお目々。

ないているの?
でも、おかあさまのおかおからおちるしずくは、あかいのだ。

なんども、おとうさまをよぶ。
なんども。なんども……。

そして、リルは泣きながら目を覚ました。
部屋には白い陽差しがいっぱいに差し込んでいて、可憐な小鳥のさえずりが響いている。

しばらく見ていなかった夢だ。
でも、ひどくなじみ深い。よく知っている夢。
あれからずっと。くりかえしくりかえし、見続けている夢。

まだ新しかったキャリッジ(四輪馬車)のシャフトがどうして折れたのか、結局、理由は分からずじまいだったのだという。
そのとき、ちょうど行き来の激しい往来を抜けたところで、馬はかなりの速度を出していた。だから。
御者を含めて、その事故ではだれも助からなかったのだ。
……おとうさまの腕にしっかりと抱かれていたわたししか。

そうやって、前のダチェット伯爵夫妻は、不慮の死を遂げた。

震える肩を、自分の腕で抱きしめて、リリアンはこみ上げる嗚咽を押し殺す。

大丈夫、大丈夫。
なんども見た夢。とおい昔に起こったこと。

リルは自分に言い聞かせる。
ただ、その日の夢が、いつもとほんの少しだけ違っていたことには、少し後になるまで、リルは気がつかなかった。

ふと、廊下の話声が、リルの耳に飛び込んでくる。

「今朝も素敵なお天気ですこと、春らしくて。あら、テディ。あなたまだ、その髭をお剃りじゃなかったの?」

アンの声だった。

テディが、快活に応じる。
「お早う、レディ・アン。失望させてしまったのなら申し訳ないが。実を言うと、この髭はかなり気に入っていてね。当分は、このままにしておこうと思っているのですよ」

「どうだか……おおかた隠しておきたい傷でも、顔にあるんだろう?」
と、横から口を挟んだのは、オーガストだった。

廊下を歩きすぎていく三人の声は、少しずつ遠ざかって、じきに聞こえなくなった。

寝台に横たわったまま、リルはいまの三人の会話を、ぼんやりと反芻する。

隠したい……傷?

兄のその言葉が、なぜだかわからないのに、ただ漠然とリルの胸に掛かって仕方がなかった。

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