都会から来る客は色んな客がいる。ワケアリっぽいカップルとか、女かと思うと男だったり、男かと思うと女だったり、まあ普通にカップルも家族連れももちろん。男性だけの団体客はマリンスポーツ目当ての若いグループが結構いる。この夏も数え切れないくらい来た。

だけどこの夏の終わりにやってきた三人の男性客は、僕の記憶の宿帳にしっかりとその名を刻んだ。

僕は鹿児島市にある私立大学に通っている。長い休みは故郷の奄美に帰って両親がやっているペンションを手伝っている。高校に入ったくらいから受験勉強の合間にもやってきたし、もう手馴れたものだ。とても好きな仕事だし跡を継ぐのもいいなあと思う反面、この島から離れてサラリーマンのような事をしてみたい気もする。

だけど、都会から来るサラリーマン達は大抵、奄美に来てやっと生気を取り戻すような生活をしていると知っている。鮨詰めの電車、残業ばかりが続く夜、慢性的な寝不足、疲れが取れないまま動き出す毎日。

それなのになんでサラリーマンをやってみたいのか、よく分からない。大学を出て、同級生の大半が公務員かサラリーマンになる。小学校、中学校、高校の同級生たちは上の学校へ進むたびにどんどん奄美から出て行って、結局は東京であるいは本州のどこかで仕事を見つけて、次に逢うのはいつにになるだろうか、きっと、白髪が増えたいつか。皺が増えたいつかだ。

僕の記憶の宿帳に名前を残した夏の終わりにやって来た三人の男性客は、確かに東京のサラリーマンらしかったが、なんだかどこかが違った。生活に疲れた感じがしなくて、僕らのような「辺鄙な」と形容されるような土地に育った人間から見たある種の憧れの形、都会の男たちのかっこよさをぷんぷん匂わせているようなそんな三人だった。

紺色というよりは濃い青色のTシャツに白いハーフパンツを履いたイシオカさんは、僕がランプを点していく庭の片隅のベンチに座っていた。ボンヤリとしているのに意志の強い目をしていた。かっこいいな、と思った。最初っからかっこいい3人だと思ったけれど、特にイシオカさんが僕は好みだった。

「如何でしたか、奄美は。」

ベンチの横の灯篭に灯を点しながら声を掛けると、彼は初めて僕に気付いて少し驚いた顔をした。

「ええ。いい所ですね、とても。帰りたくないくらい。」

そう、皆がそう言う。けれど、イシオカさんがその言葉を言った時、それは確かに彼の本心から出た僕に対する褒め言葉のように聞こえたから不思議だった。僕はとっておきの笑顔を作った。

「ありがとうございます。僕が生まれ育った所だから、やっぱり嬉しいです。」

「ここで・・・。そっか、凄いな・・・」

イシオカさんは本気でそう思っているらしかった。ここで育つという事がどんな事なのか、それは僕にとってはごく普通のことだけれど、都会の人が奄美で育つという事を考える時、多分、実際以上の重みや深みをもって想像されるのだと僕は思う。

「逆に僕には、東京で生まれ育つという事が想像できないから、あなたは凄いなって思ったりするんですけれど」

僕がそう言うと、イシオカさんは少し笑った。

「ほんとだ。そんなもんだね。」

両手を太腿の下に入れて座っているイシオカさんが、僕の方を少し上目遣いに見ながら笑うその顔はとても魅力的で、僕はこういう人にたとえば年に一人会えることがあったら十分この仕事を継ぐだけの価値があるんじゃないかと思ってしまう。

「大学を卒業したら」

なぜか僕はイシオカさんに話してしまう。

「本島でサラリーマンになるか、それとも、ここで跡を継ぐのがいいのか、とても悩みます。サラリーマンの後、ペンションに戻るって手もあるのかもしれないけど・・・そういうのもなんかいい加減かなって思ったりするし。それともそれはそれで社会勉強になるのかな。」

「迷うね。きっと俺が君でもすんげー悩む。」

イシオカさんは微笑んで言う。潮風がイシオカさんの前髪をゆする。

「イシオカさんも、迷いましたか?」

「俺は・・・大学時代はバイトとサークルばっかりやってて、気がついたら四年生で卒業する時期になってて。結構いい加減だったよ。こんな感じの仕事に就きたいなって漠然と思ってたけど、そういう会社をいくつか受けて、たまたま今の会社が採ってくれて、すごく気に入ってる。ツイてたんだな。」

少し息をついた後、イシオカさんが続けた。

「恋愛と一緒だよな。就職ってさ。両思いになれるかどうか・・・ってこと。俺は、好みの子にしかアタックしなかったし、たまたま、好みの子がこっち向いてくれたから付き合ってる、って感じかな?面白いなあ、そう考えると。」

「そっか、じゃあ、俺はアレだ、幼馴染の子と、都会的な綺麗なおねえさんとどっちにしようか天秤にかけてる感じ。」

「そうだ、そうだ。そういうことだなあ。」

「どっちがいいかな・・・。」

僕のそのつぶやきは、思いのほか真剣味に溢れていた。

「憧れる気持ちって、あるよな。たとえば、さ、手が届かないとしても、手に入れたいって思う気持ち。」

「手が届かないとしても、手に入れたい・・・?」

「綺麗なおねえさんは手が届きそうだと思うけど、たとえばそれ以上の夢があったりはしないの?」

「・・・。あぁ・・・。」

そうだ、思い出した。僕は・・・。

どうして忘れてたんだろう。いや、忘れていたのではなくて、そんな選択肢を思いもしなかったけれど。

「夢・・・」

「俺は、ある。すんげー手に入れたい。分かってるんだ、俺はそんなに魅力的じゃない。それでもいつか俺のこと少しはいいって思ってくれないかな、って思う。俺がすんごい頑張って、いまの彼位になったら、少しはいいって思ってくれないかな?その時になったら、彼はもっとかっこよくなってて、俺はまだ追いつけないのかもしれなくても。いつまでも、追いかけていなければいけないんだとしても、それでも、いい。」

イシオカさんは片恋をしているんだとその時知った。彼氏がいる人を、想っているのだと。僕は、夢を追いかけていけるのだろうか。イシオカさんのように、果敢に、凛々しく、強く、追い続けていくことができるだろうか。いつか、疲れ果てたとしても、そこに幼馴染の子は僕を待っていてくれるのだろうか?

インクが沈んでいくように訪れる奄美の夜。僕が、よく知っている奄美の匂い。不安定な三角形がユラユラと揺れている。

イシオカさんと、イシオカさんの憧れの人とその彼氏と。

それから、僕と、幼馴染と、夢と。


「もう直ぐ、夕ご飯ですよ。」

僕は薄闇の中で光るイシオカさんの目を見つめて言った。イシオカさんは僕を見つめ返して不敵にニッコリする。

「うん。連れを呼んでくるよ。」

僕は彼の目を忘れない。彼はきっと、どんな闇の中でさえあの目を光らせて追い続けるのだろう。僕は、この夏を忘れない。夢を忘れていたことを思い出した、この夏の終わりを。日が暮れていく庭で決意したことを。何もかもが目に見える青春時代にいて、朝を待つための夜がやってくることに気付いた、この時を。

宿帳に書かれた、彼の右曲がりの文字。その名前。僕はいつか、この島のどこかで、この夜の始まりをその文字と一緒に思い出すだろう。