私が来た目的を、千歳さんは訊かなかった。

訊かれたところで、発作的に来てしまった私に、説明できることなんてないんだけれど。

彼女はただにこりと笑って、私を日当たりのいい縁側に座らせてくれた。



「少し、喋れるんですね?」

“女性相手なら。調子によって、無理な日もありますけど”



手に持ったノートサイズのタブレット端末に、器用に片手で文字を打ちこむ。

ささやくくらいの声を、出せるには出せるけれど、海辺のこの場所では、風に負けてしまうことのほうが多く。

彼女の会話手段は、もっぱらこれらしかった。


私よりひとつ上のはずだ。

けれど、びっくりするくらい幼く見える。

お化粧もしておらず、短い髪も自然に風に散らして、簡素なセーターにジーンズという姿は、中学生か高校生みたいだ。

それでも、庭で遊ぶ男の子を見守る瞳は、ああお母さんなんだな、と思えた。


広々とした庭は、その先に海が見える。

開放的で、だけどぽつんとさみしく建つ、緑の屋根の家。


試験帰り、駅で海岸行きの特急を見かけて、気がついたらホームに走っていた。

先輩に会えると思ったわけじゃない。

その予想のとおり、出ていったばかりだと千歳さんはさみしげに言った。


小さな駅から乗ったタクシーで、カーナビもなければ番地も知らなかったので、車載の地図で、この家の場所を指し示した。

先輩と同じ、のんびりした訛りの運転士さんは、老眼鏡を動かしながら、ああ、とにこりとして。



『木暮さんちだね』



胸が痛んだ。

あの家に、ひとりだけ伴という苗字の男の子が暮らしていたことを。

誰か、知っていてくれたんだろうか。



「…お引越しですか?」



家のあちこちに、真新しい段ボールがある。

縁側に面した和室の奥には、遺影の納まったささやかな仏壇が見えた。

同居していたおじいさまが、亡くなられたそうで。

四十九日を済ませたばかりと聞いて、先輩が善さんのところにも戻れなかった理由がわかった。