「ギターは弾いてないのか?」
 私は訊いた。というのも高校時代の私達はバンドを結成していた。メンバーは他に二人いた。こんな記憶も蘇って来る。
「有村!そこはCではなくDのがいいんじゃないか?」友人が曲作りの際にギターコードを有村に指摘する。
「いや、Cのがいい。Cコードの構成音、ドミソは不変だ」有村はCコードをギターで奏で眉を潜め、弾く手を止め、友人を凝視した。「君の家族の雪は固まっている。溶かさなければならない」
 私は口をぽっかりと開け、その光景を眺めていた。その場にいた全員が私と同じ状況だったであろうことは想像に難くない。それでもいつもと変わらぬ独自の雰囲気を醸しながら有村はギターを搔き鳴らしていた。それはどこか心を落ち着かせるような、優しさと柔らかい音色だった。そう、新雪のように。
 後日、友人から、「実は・・・・・・」と私に耳打ちさせられた。有村に、『君の家族の雪は固まっている。溶かさなければいけない』と言われた人物だ。どうやら友人の両親は離婚をするかしないかの瀬戸際だったらしいが、有村に指摘された直後に家に帰ってみると、両親は雪解け水のように和解し、食卓には大好物のチキンとマカロニサラダが
並んでいたということだ。その事実を涙ながら友人は私に語った。要するに家庭内に固まっていた雪が眩いばかりの日光を浴び、溶けたのだ。
「ギターは弾いている」
 私の思考は突如現世に呼び戻される。
「久々に聞きたいな。有村が奏でるギターを」
 その言葉に有村が鋭い目つきを私に返した。その目は鷹のように鋭かった。その目が言いたいことは、本当にお前はいいのか、と問われている気がした。
 有村は襖を開け、一本のギターを取り出した。それは高校時代から使用している物であり、明らかに最近も弾いている形跡があるものだった。なぜなら、ギターボディはワックスが塗られた跡があり、艶やかな光沢が室内灯と共鳴していたからだ。
「弾くのか?」
 私は訊いた。が、彼の返事はない。有村という人間とコミュニケーションをとるときは、手話がいいのか筆談がいいのか、と悩んだ時期もあったが、私はこう考えることにした。彼の思い、考え、感情を理解するのに手っ取り早い方法は、音楽なのだ。
 そう、音楽。
 有村は筆で描いたような唇をきつく結び、胡座をかき、ギターを構え、Cコードをジャラーンと弾き、手首のスナップを巧みに使い、やさしく弾いた。その音色を耳に侵入させながら、私はあることを思った。
 彼は一体ここで何をしているのか、と。
 もちろん答えは見いだせない。提示されている情報は少数であり、有村に尋ねようにも彼は既にギターを弾いている。その音色はどこか冷たく、私の心に深く浸透してくる。奥深くにある過去を、悲涙を、嘆き、と抉りだすかのように。
「なるほど。お前も固まっているから旅を」
 有村は私をちらっと確認し、また手元のギター弦に目を向けた。