プラットホームに蛍光灯がともり、夕映えが列車を赤く染め上げ、昼間があったことを忘れる。帰路の喜びが頭にもたげた。
眠ること、寝転がる事が出来る人間らしい時間が待っている。
誰かの為に生きる事こそ、人間らしいというのに、自分の時間を持つ事が人間だと主張する。列車の座席は、混雑して、譲り合ったり、 睨みあったりしている。誰しも話をしない。時に見慣れた顔があっても、同じ種族で言葉が通じると知っている筈なのに背をむけ、携帯電話で、ここにいない誰かを待っている。
どうしてだか、不思議がることもない光景が日々繰り返される。
我々を意識せず、目的に向かい歩く我々はどこへ行きたいのだろうか。
仏信に勤しむなら黄泉の国をまち、金が欲しいなら必死に働く。時々誰かを出し抜くこともする。しかし日本人である我々に、それがなんになるだろうか。いづれ仏門に帰依し、この世の物は全ておいて行かなければならないのに…。
そう、平凡なサラリーマンの高城遥は思っていた。
特にパッとしない彼は、外回りの営業の仕事をしていて、空を眺めるのが趣味だった。
時々自分は永遠に外回りをするのではないかと思える程、彼の魂は空に溶けこんだ。
魂は空気か液体のどれかであると、高城(こうじょう)は悟った。
雲の輪郭にある現実は、ディスクにある仕事以上に価値があり、人の命を呼びます物はなかった。