「また落ちた・・・・・・」
 二通の不採用通知の手紙を握り潰してゴミ箱へ捨てた。
 片桐結空二十二歳。結に空と書いて『ゆあ』と読む。四年制大学を無事に卒業したものの、未だに就職先は見つからない。外へ出ることさえ憂鬱に感じていた。家に帰ると必ず誰かがこう言う。
「面接はどうだった?受かりそう?」
「お金をさっさと稼いで」
「前のも駄目だったの?あんたの性格の悪さが出ているから」
「他の人達は立派なのに」
 五月蝿い、五月蝿い、五月蝿い!
 そんなことくらいわかっている。
 最近ではそんな言葉をぶつけられたくないので、朝に外出して、夜遅い時間になるまで家に帰らないようにした。
 お風呂から上がって髪をドライヤーで乾かそうと自分の部屋へ行くと、そこには知らない男性が鏡台の前で立っていた。
 やだ、泥棒?どうしたらいいの?
 叫びたくても怖くて身が竦んでしまっているので、声を出すどころか指一本すら動かすことができなかった。
「ん?」
 男性が結空の存在に気づいた。完全に腰が抜けてその場に座り込んでいると、男性はそっとしゃがんだ。
「大丈夫?」
 自分の部屋に知らない人がいるこの状況で頷くことなんてできなかった。
「私の家・・・・・・貧乏だから・・・・・・」
 お金なんて持っていません。
「僕は不審者じゃないから!」
「そんな話、信じません!」
 父の部屋へ行こうとしたときに襖が開いた。
「パパ!」
 お願い、助けて!
「結空、今からちょっと出かけるな」
 父は結空だけを見ていて、隣にいる男性には一度も見ない。
 どうして?見えないの?
「結空、聞いているか?」
「うん。こんな時間に?」
 布団の傍においてある時計を見ると、ちょうど九時だった。
「ガソリンを入れ忘れていたんだ。車が使えなくなるのはだめだから、それと買い物もするから」
 父が立ち去ろうとする背を追いかけようとすると、お見送りはしなくていいと言われた。
「どうして・・・・・・」
「どうやら君しか僕を見ることしかできないみたいだね」
 彼は何者なの?
「何かしたの?」
「何もしていないよ」
 表情も声も嘘を吐いていなかった。
「あなたは誰?どこから来たの?」
「僕の名前はコウ。僕自身、どうやってここまで来たのかよくわからないんだ」
「私のことをからかっているの?」
 彼は慌てて手を振りながら否定した。
「違うよ!真面目に!最初に目が覚めたときは宙に浮いていたんだ。こんな風に」
 風邪が花弁を下から押し上げるように、彼は浮き上がった。
「幽霊!」
 布団の中へ潜って非難した。
「君!」
 幽霊の呼ぶ声に恐怖を感じて、布団から出ることができないと思っていたら、呼ぶ声がなくなったので、恐る恐る布団から出た。
「あ!やっと出てくれた」
「いっ!」
 幽霊は結空からできるだけ距離を作って座っていた。
「怖かったよね?ごめん、悪気はなかったんだ」
「私を不幸にしようとしていない?」
 最悪の場合、命を奪われるようなことまで想像していた。
「してないよ。そんなことできないから安心して。さっきの続きを話したいけど、いいかな?怖かったら、そのまま動かなくていいから。僕も動かないよ」
 ゆっくりと頷くと、彼は自分のことを話し始めた。
「最初にいた場所は病院だったんだ」
「病院?」
「うん、どこの病院まではわからないんだけど、その病室には傷だらけの僕がベッドで眠っていて、多分、家族だね。彼らが心配そうな顔で見ていたんだ。中には涙を流している人もいた。僕は恐らく、事故に遭ったんだと思う」
「そんな・・・・・・」
「でも、それだとおかしなことになるんだ。今こうして僕がいるってことは死んだことを意味するんだ。それなのに早く元気になるように家族の人達は言い続けるから」
 それは彼の言う通り、おかしなことだった。大切な人が亡くなったら、悲しみで涙が止まらなくなるから。
 もしかして彼は死んでいない?
「彼らを見ているときに病室のドアが開いたんだ。その向こうにいる人を見ようとしたときにいつの間にかここにいたんだ。少しは信じて・・・・・・くれた?」
「ほんの少し・・・・・・」
 半信半疑ではあるが、信じることしかできない。
「ありがとう」
「それでこれからどうするの?」
「とても厚かましいお願いになるけど、しばらくここにいさせてくれない?さっきのように君のお父さんや病院にいた家族にも僕の姿を見ることや声を聞くことができない。君だけが頼りなんだ、お願い!僕にできることがあれば、何でもするから!」
 幽霊に頼まれたのは人生で初めてのことだった。仮にここで断っても、行く場所がない彼は再びここへ来る可能性がある。それだったら、もう許可する以外他にできることはない。
「いいよ」
「本当?ありがとう!これからよろしくね!結空!」
「こちらこそよろしく。コウ」
 こうして幽霊のコウと生活をすることが決まった。