きっと彼女は覚えていないのだろう。入学式の日、俺たちはもうすでに出会っていたということを。


いまでもよく覚えている。あれは桜の舞う、よく晴れた春の日だった。

俺は、入学式が終わるなり、自転車の鍵を落としたことに気が付いてあわてていたんだ。まだ仲の良い友達もいなかったし、どうしようって。

スペアのキーも持ってきていなかった。それでも自転車を置いていくわけにはいかなくて。

もうすっかり人もいなくなった学校で、情けない気持ちになりながら、俺はひとりで鍵を探していた。半分あきらめかけて、でも、なんだか変な意地が芽生えていて。


でも全然見つからなくて。心当たり、全部見たのに、どこにもなくて。

あれは、もうダメかもしれないとすっかりあきらめて、帰ろうとしていた、まさにそのときだった。


「――あの、もしかして、鍵探してませんか?」


天使みたいなやわらかい声が落ちてきて、ふわりと、俺をつかまえたんだ。


「……あ、それ」

「入学式で体育館に入るときに拾って。わたしも持ち主探してたんです。見つかってよかったあ」


彼女の手に握られているもの。それは正真正銘、俺が探していた自転車の鍵だ。

それが彼女の小さな手から俺の手のひらに落ちるとき、なんだかすごくどきどきしていた。白くてきれいな指先だった。


「わたしも好きなんです、ネコちゃん。かわいいですよね」


なんのことかと思う。それが俺の鍵に付いているキーホルダーのことだと気付いたとき、彼女はもう、俺に背を向けて歩き出していた。

……ああ、名前、聞いておけばよかったな。そういえばクラスも分からない。お礼すら言えなかった。


それから2年間、集会や廊下で彼女を見かけるたびに、そのときのことを後悔して。もう卒業まで話すこともないのかなって、ぼんやり見ていた。

でも、神様はそんな俺に、最後のチャンスをくれたのかもしれない。


高校3年生。4月、新学期。向かった教室に


――彼女が、いた。





【わらって、すきっていって。】END