彼のことは高校1年のころから知っていた。

あれは、入学して数か月たった、とても暑い夏の日。
たまたま委員会で遅くなった日、たまたま通ったグラウンドで、彼の姿を見かけたんだ。


顔をくしゃくしゃにして走るひと。

他の部員はもうすでに帰っているのに、ひとり残って黙々と走るひと。


その姿に、なんだか無性に惹かれた。


名前は知らない。クラスも分からない。

ただ、同じ学年なのはたしかだった。学校で何度か見かけたけれど、上靴の色がわたしと同じ青だったから。


『陸上部の彼』。こっそりそう呼んで、ひっそり好きでいた。

友達にも言えなかった。一目惚れだなんて、なんだかバカにされる気がして。

それに、彼を好きなこの気持ちを、なんとなく、ひとりじめしていたくて。


全校集会で見かけた。
廊下ですれ違った。
放課後、走っている姿を見ることができた。

たったそれだけでいちいち幸せな気持ちになるなんて、不思議。恋はまるで魔法。彼はまるで魔法使い。

すれ違うときなんて、どうしてかいつも息を止めちゃうんだもん。おかしいでしょう。


名前も知らなければ、クラスも分からないけれど、それでいい、見ているだけでじゅうぶんだって。

そんなふうに思っていたわたしに、神様は最後のチャンスをくれたのかな。


高校3年生。4月、新学期。向かった教室に


――彼が、いた。





【わらって、すきっていって。】