図版上げて使うんかいな? 芸能はひとまず切り上げて宗教へ。院政期から鎌倉時代の宗教というと教科書的には「新仏教」が注目されるが、これは明治以後の宗学的な研究(仏教の宗派による宗派の根本を補強するような研究)の発展に影響がある。例えば重源(ちょうげん)1人とっても、そういう前提が見えにくくなっていることに気づくだろう。2012.0102 14:35:26

 源平の争乱の中で消失した東大寺大仏を復興したのが重源。しかし重源は醍醐寺(だいごじ)や高野山(こうやさん)に住し(3のp10)、法然(ほうねん)の弟子であった。南都六宗、顕密仏教(天台宗と真言宗)、新仏教(浄土門)というカテゴライズが、どれだけ後世の勝手の下にあるかが判るだろう。2012.0102 14:46:08

「かまくらクライシス」とかぶるな、いいや。現代の仏教に対する感覚と平家時代の感覚では大きく異なる。王権と仏教は自転車の両輪のように欠くべからざるモノだった。そのことは大仏の炎上という事態にも悲壮感を増す。この世の終わりをも感じさせる事態であった。2012.0102 15:01:11

 やはり重源というとトリッキーな所が魅力なのではないだろうか? (3)の論旨とはずれるのだが、舎利に対する法律を無視した略奪など、信仰心そのものが活動の原動力になり、それは時代的な秩序をも無視しているのではないだろうか? まあ大河には重源は出ないだろうけど… 2012.0102 15:21:45