私はこの日起こったたった30分の出来事を生涯忘れない。

冬の昼がり、私は小さな診察室へと連れて行かれた。
今年は寒い日が多く、病院でも冷えた空気が足元に
漂っていた。医師はすぐに暖房をいれた。
「佐伯澪さん、よく聞いて。これからあなたの検査結果を
報告します。」
そう言うなり、2人しかいないこの部屋で
担当の若い医師は、腰をかけるなり淡々と病気の説明を始めた。

初めて聞くその病名にピンとこない私に、若い医師は
「1リットルの涙と同じ病気」と付けくわえた。
「1リットルの涙・・・・・」その名には聞き覚えがあった。
確か少女が進行性の病気に侵されながら家族と
一緒に病気と闘ってゆくテレビドラマ。でもヒロインは最後自分では
動けなくなり、言葉も無くしていた。そし若くして亡くなった。
頭の中をテレビの映像が駆け巡った。
そうして「病気はなぜわたしを選んだの?」と叫ぶシーンが鮮明によみがえった。

相変わらず説明を続けている医師の声は全く耳には届かず
まるでBGMのようだった。
頭の中が白くなるというのはこういうことをいうのだろう。
視界が白っぽくなりすべての音がだんだん遠くなった。
そして身体が震えた。

それでも医師は一緒懸命しゃべっていた。
ひとつひとつの検査からの結果を導くように丁寧に紙に書いて
図解付きで説明した。
ただし字はお世辞にもうまいとはいえなかった。
懸命に喋り続ける医師と
たまに目が合ったが焦点の合わない私を見て
どう感じていたのだろう。
それとも喋るのに必死で患者の表情などどうでもよかったのか・・・・

この病気は
「私をいつまで私でいさせてくれるのか?仕事をして 家事をして子育てをして・・・・・」
子供が生まれてから休む間もなく走り続けてきた。
時には仕事のために家庭を犠牲にしたことも。
子供がいるだけで女はダメだと差別される社会が許せなかったからだ。
でもどんなに頑張っても結局jはダメ。
女はやはり子供を後回しにはできない。少なくとも私はそうだった
その子供たちも上が高3、下が中1になった。
なんとかここまできたのに。自分ために生きれるのはこれからなのに・・・・・
私にそれが許されないというのか・・・・・涙を見つけると医師は泣かれては困る
とでも言うように慌てて話を無理やり終わらせようと先を急いだように見えた。

明日着るのだろうか?きれいに折りたたまれ、洗濯のりの効いた
白衣を大事そうに抱えているのが目についた。
白衣が彼の明るい明日を表しているようでムカついた。

病名は“脊髄小脳性変性症”。の中でも進行の早い多系統萎縮症。
10万人に一人いない神経難病だ。
歩いていたことも、話していたことも身体から記憶が抹消され
いずれ私は介護状態になる。

告知を終えて部屋を出たのが夕方近く。
1時間以上の時間がたっていたのだ。
病院では夕食の準備が始まっていた。
「さっ、しっかり食べてと」医師が背中を押した。
どうして食べれると言うのだろう?吐きそうだった。
それでも泣き顔を隠しどうにか半分食べて部屋に戻った。
もう限界だった。大声出して叫びたかった。泣きたかった。
部屋には同室のメンバーがいたし、病院で夜に一人になれるところ
なんて知らなかった。
カーテンを締め声を殺すしかなかった。

マスクをした看護師がカーテンをそおっと開けた。
「佐伯さーん、大丈夫?話聞いたわ。出来ることあったら言ってね」
気使ってくれる看護師の言葉にもう我慢ができず無防備に泣いた。
涙を止めることができなかった。
同室の人がいなかったこともありまるで幼子のように
顔は崩れた。
「眠れなかったら睡眠導入剤渡そうか?それとも一人になれる部屋さがそうか?」と
言ってくれた。
私は顔をクシャクシャにして首を横に振った。
1人部屋なんかに行ったら闇に落ちてしまいそうだった。
引き上げてくれる身内は誰もいない、永遠の闇だ。
元来、私は病院の個室がきらいだった。
中学生のころ、盲腸で入院したとき、
父が「女の子だから」と言って個室に入れてくれた。
そのとき、隣室の人が明け方亡くなって、
女性の悲しい泣き声で目が覚め
とても怖い思いをしたことがある。
それ以来個室は嫌いなのだ。
看護師は「なんかあったら言ってね」と残して病室を出た。
その看護師だけではなく、何人かの看護師から
優しく声かけられた。その度に涙を隠すことができなかった。
それから朝まで病室の闇との闘いだ。
「1リットルの涙」の映像はもっと鮮明に夜の闇に浮かび上がった。
歩けなくなる。喋れなくなる。食べ物が口から飲み込めなくなる。
その度に息が止まりそうなくらい苦しかった。
全身から涙をながしてるようだった。