女から電話があった翌日。


仕事が終わったあと、杏奈と麻人は彼の愛車レガシィの中で話し合いをした。

時刻はもう夜の11時だった。


「酔っ払った勢いで一度だけだって…」

浮気を認めた麻人はハンドルに突っ伏し、頭を抱え込む。


会社の同僚たちとの飲み会のあと、女と二人だけでカラオケに行った。

酒も入っていたこともあり、ノリでそういうことになってしまった。

「すげー積極的に来るもんだから、
ついその気になっちゃったんだよね。
胸とかグイグイ押し付けてくるしさあ。
あれは事故みたいなもんだよ。」


杏奈は麻人の話を辛抱強く聞いた。

ダッシュボードの脇に置いたスプリングの付いた、小さな黒猫のマスコットをぼんやり見ながら。

それは麻人が18歳で中古のこの車を手に入れた時に、杏奈が買ってきたものだった。

「なんかこれ、杏奈に似てる。」
麻人は言った。


お互いに家族と暮らす杏奈と麻人は、数え切れないほどこの車の中で愛し合った。

黒猫は他にも色々見ているに違いない…杏奈は思う。

麻人の決して謝ろうとしない態度に、
堪忍袋の緒が切れた杏奈は怒鳴った。


「もういい加減にしてよ!
反省の色が全然ないのは、どういうわけ?私のこと、馬鹿にしすぎだよ!
女二人と同時に寝れるなんて気持ち悪い。変態なんじゃないの?」

杏奈の言葉に、麻人は呆れ顔をした。

「同時になんて寝てねーだろ。俺、そんな趣味ねーよ。変なこと言うなって。」

「同じことだよ。」


杏奈と麻人は高2から付き合っていて、今年で5年目になる。

その間に二度も別れと復縁を繰り返した。


麻人は身長こそ高くはないが、中学生の頃から柔道をやっていて、がっしりした逞しい身体付きをしている。

そして、いかにも人のよい柔和な笑顔がよかった。

杏奈はその笑顔が好きで、麻人を選んだ。

麻人は人を笑わせるのが好きな性格だ。
決して美男ではなかったが、意外に女にもてた。


二度別れたのは、麻人の浮気が原因だった。

うまく隠してくれたらまだいいのに、麻人は不器用に尻尾を出す。

明らかに態度がおかしくなる。

「私が麻人と同じことしたら、どう思う?」

「…」

「しかも麻人、これで三回目じゃない。」


三回目の浮気。
もう嫌だと思った。


麻人は一度も杏奈のことを愛してる、と言ったことがない。

「杏奈のこと大好き。」
高校時代の麻人は、二人きりになるとよく言っていた。

もう長いことそれすらもなくなっていた。



麻人に妊娠を告げたら、彼はどういうだろうか…

別れたあと、麻人はもうあの女と次の恋をしているかもしれない。

諦めるしかない…
可哀想だけれど…

麻人のことは今でも未練がないと言ったら嘘になる。

でも、もう苦しみたくない。

平穏な生活が、一途な愛が欲しい…

杏奈はそう思った。


やっとトイレから出た杏奈はキッチンから、漂ってくるカレーの匂いに、胸がむかついた。

「夕飯は要らないや…」

杏奈は呟いた。