欲しいと思ったものはいつも決まって別の誰かのものだったなと、男は苦々しい思いで手に持った銀製の盃(サカズキ)に口をつけた。
 否、正確には【決まって別の誰かの】ではなく【決まったある存在の】であることを男は知っていたのだが、それを素直に認めるには男は少々若かったし、何よりも対象になる相手のことを知らなさすぎた。
 それは幻影か亡霊のように不確かな存在で、男にとっては目に見えぬ呪縛のようなものに他ならなかったのだ。
 だが実在しているかどうかも曖昧だった存在が、ここにきて現実感を増していることに彼は激しい焦燥感を覚えていた。
 色違いの瞳を持つ少女が弾けるような笑顔を向けたのはどんな姿をした存在なのか。
 声無く「ちがう」と呟いたあの唇が呼んだ名が追い求めてきた男の其れであるのか。
 暴いたが最後、何が起こるかなど予測出来ない。
 より深い奈落の底へと叩き落とされることも大いにあるのだと知りながら、彼は目の前に降って湧いた可能性を無視し得なかった。
 世界の災厄を全て詰め込んでいたというパンドラの箱のように。
 しかし、何故今なのか。
 何故この大事な時に限って亡霊の片鱗を知らされなければならなかったのかと男は奥歯を噛み締めた。
――また、奪うのか。
 心から欲したものを、また一つ奪うつもりなのか。
 ぶつけようの無い怒りが沸々とその温度を上げていく。
「亡霊は亡霊のままで居ればよいものを……!」
 知らず手に力が篭り、盃の中の葡萄酒が小刻みに震えた。
 波打つ葡萄酒に映る自身の隻眼。その色に男は更に苛立ちを募らせる。
――この瞳が深紅でさえあったならば……!
 葡萄酒よりも深みの無い緋色。
 それが男の持つ瞳の色であり、付き纏い続ける呪縛の証。
「随分機嫌が麗しいようだな?」
 この場所がプラチナオークション会場の来賓室でなく、尚且つ声を掛けたのが現段階の協力者でさえなかったならば感情のままに殺していたと確信しながら男は葡萄酒に歪(イビツ)に映る自身から視線を上げた。
「いつ戻ったのかは知らないが気配を消すのは止せ。死にたいのであれば別だがな」
 機嫌の悪さを隠そうともせずそう言うと、線の細い青年が、その容姿には似つかわしくないぎらついた瞳で笑った。
「何をそんなに焦れている。例の件なら既に手筈は整った。一事が万事問題無い」