昨夜手作りのカレーを1人で食べ、残りは全て冷蔵庫に保管していたが結局隣人は帰って来ることがなく、河野もリビングでテレビを見ながら待つこともなく早々に自室で眠りについた。

 そして朝6時半に目が覚め、リビング隣にあるトイレに行った後だった。

 隣人が玄関から帰って来たのは。

「……おはよう……」

 隣人の疲れた顔を見てから言う。

 イケメンじゃなかったら、話しかけていないに違いない。

「……あぁ」 

 そのまま奥の部屋に入ってしまう。仕事だろうか? 遊びだろうか? 彼女だろうか? いずれにしても、このまま寝てしまうのだろう。

 と思いきや、すぐに出て来る。

 冷蔵庫を開けて食べる物を探しているようだ。

 河野はすかさず声をかけた。

「何か食べます? 昨日のご飯でよかったら、ありますけど」

 白米はまだ2合弱残っている。

「……そうだな……」

 隣人はとりあえず、ボトルのミネラルウォーターを出すとそのままキャップを捻って飲み始めた。何が好みなのかは知らないが、ご飯に合いそうな飲み物は今は水か封の開いたお茶しかない。

「カレーもありますけど、食べます?」

 朝食に当たるのか夜食に当たるのか分からなくて、とりあえず聞く。

「カレーでいい」

 でいいって、何?

 と思ったが、リビングに腰かけて待っていてくれるので、そこにレンジで温めた物を持って行ってあげることにする。

 その間、隣人はずっと何か考え事をするかのようにソファに浅く腰かけ、一点を集中して見つめて険しい顔をしていた。

「はい、どうぞ」 

 近づくなり、消毒液の匂いがする。

「……もしかして、お医者さん、ですか?」

 考えるより先に口に出た。

 頭の中では完全に白衣や革靴や何から何までが、即座にリンクしたのだった。

「あぁ……」

 隣人は、返事だけして食べ始める。

 こりゃ確実に、親は医者だな。

 この受け答えを根拠に、河野は確信した。

 医者の子は「ありがとう」という言葉を知らない、というのを聞いたことがある。

 今、全く赤の他人が手づくりの食事まで出してあげたというのに、本人は無言で食べるのみ。

 なのに顔がいいから、こういう奴に限って良い奥さん掴まえちゃったりするんだろうなあと心の中で苦々しく勝手に想像した。

「あ、あの、名前……聞いてもいいですか?」

「お前が先に名乗れ」

 やまあ……ごもっともなんですけど!!!

「あの、私は河野 亜美です。附和物産株式会社に勤務の26歳です。あの、あなたは?」

 これでどうだ、と聞いてやる。

「名は、斉藤 慶介。勤務地は桜美院病院外科、28歳」

 28……しかも、外科医……これまた、花形部署にこんな若くして……しかもイケメン。モテて傲慢にもなるはずだわ。

「……」

 なんとか名前は聞けたものの、無言で食べ進める斉藤。

「……美味しいですか?」

 聞いてもいいでしょ、そのくらい。

「不味ければ、食ってない」

 …………はいはい、そういう育てられ方したんだよね。お母さんの手料理が美味しくて、お父さんも外科医でお金持ちで、何不自由なかったんだよね!!

「あの、いつも夜勤なんですか?」

 単に医者といえども、非常勤の医者ということもあり得るし。

「夜勤と日勤は交代だ」

 あ、聞けば喋ってくれるのね。

 それに気づいた河野は、1メートルほど離れてソファに腰かける。

 腰かけた途端、斉藤が一瞬こちらを見たが、河野は気にせず質問を続けた。

「土日は休みですか?」

「…………それがお前に、何の関係がある」

 は? 

 だってその前の夜勤日勤の話も何も関係なかったのに喋ってくれてましたけど!?

「それ……ぐらいいいじゃないですか。ご飯作ったの、私なんだし」

 会話の前後がバラバラだということに気付いたが、あまりの怒りで止まらなかった。

「別に、頼んでない」

 頼んでいないとか言いながら、まだ食べるかあ!? 普通!!

しかも丁寧に、よく噛んで行儀よく食べてるし。ここがやっぱりお金持ちとして育てられた証拠かなあ、と思う。……とかいって、お父さん普通のサラリーマンだったらどうしよう。

「…………私、毎日自炊するつもりだから、良かったら一緒に作りますよ」

  皿の米一粒まで丁寧に食べてくれたから……そう言ってもいいかなと思ってしまう。

「別に、いい」

「別にって?」

 じっと斉藤の横顔を見つめた。相手もそれを感じてこちらを向いてくれるかなと待っていると、ようやく顔を向けてくれたが、目が合うなりその美貌に耐えきれなくて逸らしてしまう。

 それくらい、斉藤の目つきは鋭い。

「いい」

 …………いやあのね、ほんっと腹立つわ、アイツ!! イケメンだからってなんでも自分の思い通りになると思ってるんじゃないのかしら!!! 

 河野の怒りをよそに、斉藤は水を持ったまま自室に入って行ってしまう。

 もちろん、カレーの皿はそのままだ。

 うわっもう、最悪。

 ほんっともう、最悪!!!

 ふと時計を見ると、針は既に7時を差そうとしている。

 河野は慌ててカレーの皿を片付けると、自分の朝ごはんをつぎ、大急ぎで次から次へと身支度を整え始めた。