白衣を着た俺に、クライアントへの向き合い方を教えてくれたのは兄だ。

 外科医だった父や、産婦人科医の叔母ではない。

 その人柄を知り尽くした上で相手を受け入れ、相手から確固たる信頼を得て、執刀する。

 それが兄のやり方であり、俺が兄を尊敬して止まない所以でもある。

 本日、斉藤 慶介(さいとう けいすけ)は深夜病棟の当直に就きながら、つかの間の空き時間をブラックコーヒーを飲みながら過ごしていた。

 シンプルな掛け時計を見る度に思い出すのは、ロスとの時差。兄は今どんな仕事をしているのだろう。

 どのようなクライアントとどのように向き合っているのだろう。

 兄の全てを吸収して、兄のようになってみせる。

 ロスの国際大病院で、若干35歳でありながら外科部長を務める誰もが尊敬し、憧れる兄のようになりたい。

 思い余って窓の外を眺めようと立ち上がった途端、聞きなれた電子音が部屋中に大きく響く。

 それは白い壁に掛けられた内線電話であり、クライアントが医者を呼んでいる合図だ。

 俺はすぐに受話器を上げ、「はい」と返事をする。

『先生、急患です』

「はい」

 それだけ言って電話を切ると、すぐにコーヒーカップをテーブルの上に置いて白衣を翻して部屋から出る。

  カップを自分で片付けたことは一度もない。だがナースか誰かがどうにかしてくれているだろう。

 クライアントと向き合うこと以外に何の興味も抱いていない慶介は、ただまっすぐ診察室に向かう。

 溜息の一つつかず、自分を待っている患者のことだけに全神経を集中させる。

 つまり、他のことなどどうでもいい。朝郵便受けで確認した一枚の重要書類のことなど、慶介の中ではすっかり忘れるほどにどうでも良いことであった。