街角に貼られたポスター。

今や、ネットなどの告知が、メインになっているとはいえ…

まだ弱小の劇団とかは、街に貼るポスターは、重要だった。


繁華街の中心から、十字路を2つ過ぎたところにある…雑居ビルは、

二十代のオーナーが、バーをやっていたり…家賃の安さから、数多くの店が、入っていた。

店だけでなく、簡易劇場やスタジオとして、利用されていたり、

飲食店以外も多かった。

夢の集まる場所。

明らかに、お客より、店員が多いのではないかと、思われるビル内は、

夢に生きる人達の熱気と、笑い声で、溢れていた。


中山美奈子が、主催する劇団――知恵の輪も、そこを本部として、毎日劇を公開していた。

毎日公演するのは、大変であるが…要するに人前で、練習であった。

仲間内でやるより、お客の前で見せる方が、腕も上がる。

大きな劇場を借りて、発表することがメインであるが…

ここでの毎日も、大切だった。

観覧は、タダ(ドリンク代だけ、貰う)で行っていたが、

客が入らない方が、多かった。

それでも、公演はやめなかった。

飲食店専門のビルの為、厨房を改装した音響ブースで、

沢村明菜は、裏方の仕事を任されていた。

本当は、役者希望であるが、まだ入ったばかりの明菜に、なかなかチャンスは回ってこなかった。


美奈子は、推薦枠で、役を与えようとしたが、

頑として明菜は、それを拒否していた。

(チャンスは、自分で掴む)

明菜は、そう思っていた。

劇団は、役者が8人。裏方が3人と…本当に、弱小劇団だった。


しかし、

そんな劇団にも、大きなチャンスが巡ってきた。

世界で、有名な音楽家の半生を描く…劇を公演する権利を得ることが、できたのだ。

美奈子の後輩で、明菜の先輩である…藤木里緒菜。

彼女の親友の母親が、その有名な音楽家だった。