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文久三年九月十三日。


この日、局中法度の最初の犠牲者が現れた。


壬生浪士組幹部の一角、芹沢派(水戸派)であった新見錦が、祇園新地「山緒」にて切腹をしたという知らせが屯所に届いた。


彼は商家から『お上(カミ)の為だ』と、恐喝紛いの金策をして、奪った金を祇園で酒と女を買うことに費やしてしまった。


――私利私欲のために局中法度の一つ“勝手に金策致すべからず”を破ったのだ。


そして、遂には改められることのなかった日頃の悪行も祟り、座敷で切腹をさせられることになった。


遊蕩に耽(フケ)っていた新見は、少し前に副長へ降格されたばかりであった。そのため、同じ立場である土方より、切腹を迫られてしまった。


介錯は沖田。武士の死に様に相応しい、見事な最期だったという。


その事実は、土方の口から直接芹沢に伝えられ、その後全隊士の前で知らされることとなる。


直接的な仲間である芹沢は、怒り狂うだろう、と土方は予想していた。


しかし、それとは裏腹に、芹沢は感情を押し殺した声で「そうか、あの莫迦者が」と呟いただけだった。


隊士は、副長などの幹部でも、関係なく実行される鬼の禁令に恐れおののき、改めて自らの身の振りを考え改めることになる。