会津と薩摩の協力で、長州は京の街から一掃された。



しかし、長州は退却の際、京の街に火を放って行った。




民家、寺院、祇園会(ぎおんえ)の山鉾も失われ、長州は朝廷に弓引く逆賊として、扱われて行った――。




それは後に『禁門の変』と呼ばれるようになる。